konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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大丈夫かグラミン

しばらく間が空きました。最近は本業が結構大変ですが、バングラ方面も日夜(というか、夜な夜な)推進しております。

日本側は誰とどうやっていくか、という話が多少なりとも進みつつある一方で、現地側のパートナー候補の近況を見ていると、なんだかグラミン銀行の様子がおかしい。以下は、「貧困層の女性でも返済率99%!」と、ずっとユヌス総裁が売りにしてきたはずの数字が、最近になって落ちている、というグラフ。

Collection

(ご関心のある方は、Center for Global Developmentのブログに詳しい分析)

折りしも、公開情報からなかなか把握しづらい個別のマイクロファイナンス機関(MFI)の実情について、世界標準の調査システムを築こうとしている慎さん(提言記事)に縁あってお話を聞く機会があった。市中の金融機関がこぞってマイクロファイナンス・ファンドへの投資をすすめるなか、まさにリーマンショックが示したとおり、マイクロファイナンスは世界経済(というか先進国のパフォーマンス)との相関がきわめて低いLowβの投資先。そんなMFIの信用情報がコスト高であることが、大手のMFIへの投資偏重、競争の阻害、ひいてはpredatory lending(借り手のためにならない条件での過剰な貸し出し)を招く、それを避けるためにコスト競争力がきわめて高いMFI調査システムをつくりたい、というのが、昼は投資銀行に勤める彼の「夜仕事」。

グラミン銀行についてもさすがに詳しくて、いろんな話をきく。ユヌス総裁はじつに偉大だけれど、組織の中にナンバー2、ナンバー3を育てて持続可能かつスケーラブルな事業体を築く、という点ではBracがずっと優れているのかも、という感触は、僕も現地訪問の際に強く感じたところだった。事業の規模が大きくなり、カリスマの目が細部に行き届かない中でも下々が号令に従って走るしかない組織と、経営の仕組みが個々人の自主性を引き出しつつも、共有されたミッションが高い次元で構成員を律する組織。ユヌス総裁に近しい人達からは、「グラミンも創業時は後者だったのだけど、、」みたいな話も聞いた。

(トヨタ頑張れ、というのと同じ気持ちで)グラミン頑張れと念じつつ、今日も夜は更ける。。。

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灌漑EVプロジェクト

約10日間のバングラ行脚が終了。夜仕事の収穫は上々。

いろんな面白い人に会いましたが、なかでも楽しかったミーティングといえば、

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グラミン銀行のユヌス総裁でしょうか。「こう、こんなふうにやったら、いいと思うんですが。」

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どうせやるなら、あんなこととか、こんなこととかも、どう? 「うむー、なるほど。さすが」

なんの話だったかというと、ソーラーと電気自動車を使った分散型灌漑システム、というお題でした。えっ何のこっちゃ、と思われそうですが、概要は以下:

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新年

あけましておめでとうございます!

1年超、更新をさぼってましたが、2010年代は引き続き大変ながら面白くもなりそうで、ちょっと発信もしようと思い立ち、また書き始めることにしました。

すごーく久しぶりの方々に近況アップデートすると、ここ1年は昼間の職場に復帰しつつ、学生生活の間に思いをめぐらせていたような活動は勝手な個人活動で続けています(夜の仕事とよんでいます)。その一環で、年末年始は3週くらい休みをとってバングラデシュに来ています。

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ダッカ名物、リキシャ渋滞。ぜんぜん動きません

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川を下って、、、

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平野をこえて、、、

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やっと村に到着。

なんでまたこんな所に来てるのか、の話は、そのうちまとめて。

まずは新年のご挨拶まで。今年も宜しくお願いします!

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帰国、そして

だいぶ間が開きました。何人の方から「無事??」とメールいただいたりしましたが、日本に戻ってすこぶる元気にしてます。 生活立ち上げの慌しい時期もようやく一段落。復職先の仕事はそれなりに密度が濃く、 ともすると日々の目先のことに押し流されそうになるのを堪えて、この3年間が何だったのか、これから先の自分の目指すところは何なのか、 今やっていることが先にあるものにどう続いているのか、目を開き続け、雲がかった行く末を見定めようとしているところ。やりたいこと、 興味を持ち始めたことが多すぎる割に、移行期でどれもなかなか手が付いておらず。こんな時に自分のブログを見返したりすると、 よい振り返りの機会になっていいものです。

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(コソボ+アメリカ)*(セルビア+ロシア)=??

ベオグラードにてセルビア人の旧友と再会。彼には、僕がコソボで何をしているかは知らせていなかった。コソボで今起きていることは、 人一倍愛国心が強い彼にとって、喜ばしいことであるはずがないからだ。会ったときに直接、ゆっくり話そう、と思っていた。そして幸い、 ベオグラードに来る機会がもてた。

えっ。ミトロヴィツァで仕事してるって。北?それとも南?・・・そうか、南か。 アルバニア人と一緒にいるんだな。経済開発って、いったい全体どういう経済だよ。麻薬取引、売春、 人身売買のビジネスならいくらでもあるだろうけどさ、他にコソボにいったい何があるっていうんだ? アルバニア人社会がどういうものか、 もう知っているだろう。原始的で、乱暴で・・・だいたいなんであんなに子供が沢山いるか知ってるか。アルバニアの男は女にこう言うんだ、 「女の仕事は妊娠することだ。お前達はいつでも妊娠しているべきなんだ。してないなら今すぐ妊娠させてやる」・・・

子供が多いのは事実。戦争中、コソボの平均出生率は6.5だった。ある人はこれを、民族浄化に対する文化的自衛反応だと言っていた。 息子が少なくとも3人必要だったんだ、とまた別の人は教えてくれた。ロジックはこう。1人は戦いで死ぬだろう。 1人は親元に残って家族を守ってもらわないといけないし、もう1人はドイツに出稼ぎに行って、家族を財政面で支えないといけない。そうして、 息子が3人になるまで生み続けると、娘も入れてだいたい6人になるのだ。出生率はNATO介入と戦争終結に伴い劇的に下がっているが、 下がったといっても現在3.5である。2を大幅に下回っている日本やヨーロッパ主要国から見ると、驚愕の数字。 マケドニアでマケドニア系住民が、いつかアルバニア系住民に国を乗っ取られるのじゃないか、と恐れるのも、まさにこの出生率の違いによる。

セルビア人はクロアチア人とも憎みあっているしボスニア人とも仲が悪いけれど、 長い目で見ればこういう対立は忘れ去られると思っている。自分だって休暇はクロアチアで過ごす。あそこは東ヨーロッパで一番美しい国だ。 けどアルバニアは、アルバニア人だけはだめだ。文化的にも宗教的にも違いすぎる。アルバニア系マフィアが、 中東からの麻薬を全部おさえてヨーロッパに大量に売りさばいているのも知っているだろう。 ああいうマフィア同志の抗争のおかげでバルカンはいつまでたっても安定しない。アルバニア人は地域の恥だ。

いつの時代も外の脅威に晒され、強大な帝国に次々支配され、身内しか頼るものがなかったアルバニア人は、 独自の家族社会を築き上げてきた。国よりも宗教よりも何よりも、家族が社会生活の中心になる。 とくに一番最近のオスマン帝国による支配の際はイスラム教への改宗を求められたが、オスマンは中央集権的というより地方分権が進んだ国で、 人頭税さえ払えば改宗も強要しない、という政策をとった。税金を払いたくない人々は表面的にはイスラム教徒になったが、 決して熱心なイスラム教が定着した訳ではない。

そして、宗教の代わりに人々を律していたのは、カヌーンと呼ばれるアルバニア独自の、 家族を中心とする不文律だった。これは男女の役割、結婚のしきたり、家族のあり方、等々を定めたもので、 とくに日本の江戸時代の仇討ちにも似た、家族間で抗争があった場合の武力解決を合法としていた。娘の結婚の際は、 父親が嫁入り道具一式と一緒に銃弾をひとつ、新郎に贈るのが慣わしだった。「万一、娘が不義理を働くようなことがあれば、 いっそこれを使って・・・」という意味だ。

典型的なアルバニア人家族では、息子が3人いれば3棟の家屋を隣接して建てる。孫が9人いれば、そして経済力が伴えば、 さらに9棟の家屋が建つ。そして親類縁者が寄り集まり、なかば村落のようになったこれらの家々をまとめて高い塀で囲み、 絶対の権限を持つ家長は地方の有力者となっていく。かれらは独自に武装し(人口200万のコソボにはいまだに50万丁程の、 つまり一家に一台以上のカラシニコフが未回収のまま民間で保有されているとされる)、経済的にも軍事的にも、 有力氏族が社会の構成単位になってゆく。カヌーンは今では廃止されたことになっていて、氏族間抗争もその大半は仲裁され、 女性の社会進出も進んでいる(女性の大臣も国会議員もいる)が、家族中心の社会形態は特に地方を中心に今でも根強い。

コソボの企業はほとんどが家族経営だ。ドイツやスイスやアメリカで成功した子息が資金とアイデアを持ち帰って、 表経済で活躍するようになった氏族も多い。が、相変わらず高い失業率や政情不安も相俟って、裏経済はそう簡単にはなくならない。 コソボがマフィアを追放して表社会中心の経済に移行できるかは、政府が汚職ときっぱり手を切って法の支配を確立できるか、より本質的には、 もっと民間投資、雇用創出、経済成長が進むか否かにかかっている。そして、そのためには近隣諸国、 とくにセルビアとの建設的な経済関係づくりが欠かせない。

セルビアにとって文明の故郷だし建国の地だし文化宗教遺産の宝庫でもあるコソボを失ってしまうことは、残念ながら、 もう受け入れるしかないのかもしれない。個人的にはいっそ、 アルバニア人のいるコソボなんてきっぱり切り離してしまったほうがセルビアのため、とも思う・・・けれど、北ミトロヴィツァだけは別だ。 いいかい、僕は先月、はじめてミトロヴィツァにも行ったんだ。南に行こうとしたら、橋を守っているKFOR(NATO部隊)に止められた。 「あなたセルビア人でしょう、どうしても行くっていうなら止めないけど、身の安全は保障できないよ。 アルバニア人とセルビア人のトラブルは絶えないし、ちょっとしたイザコザがものの数分で大規模衝突に発展しても何もおかしくないんだから」・ ・・。あそこに住んでいるセルビア人同朋が、アルバニア人の支配に耐えられるはずがない。コソボ北部はまだセルビアだ。

ああ、これは僕にとっての試練でもある、と思った。彼が言うことは、セルビア人全般の、 またミトロヴィツァ北部のセルビア系住民の意見を代表していると見ることもできるし、真実の一面をとらえてはいる。けれど、 全く違った真実も同時に存在することを認め、過去にしがみついて分断を深めるかわりに未来の可能性を一緒に考えることなしには、 永久に進歩はないのだ。アメリカまで行って一緒に学んだ彼と僕との間で建設的な対話が起こり得ないとしたら、 いったい他の誰にそんな仕事ができるだろう・・・。

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