konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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開発業界雑感:国連と世銀

前回の記事は民間セクター開発のだいぶマニアックなところに入り込んで書きましたが、今日はもっと一般的な開発業界・ ならびに国際機関についての所見を。素人考えで言っているので、その道の方、お気づきの点はご指摘下さい。

ワシントンDCにいると、開発業界人との交流には事欠かない。 世銀は開発に関わることならおよそあらゆることをやっている開発総合デパートで、「えーっ、そんなことまでやってんの」と驚くこと多々。 IDB(米州開銀)、USAID、日本系でもJICAの事務所、JBICからの出向の方、省庁の方、等々いろんな人がいる。 インターンでも世銀グループ・IMF共用のイントラネットにアクセスがあり、スタッフデータベースが充実していて 「コンサルティングM社出身 or MIT出身 or Harvard Kennedy School出身」みたいな検索をかけると、 どばーっと数百人がヒットする。プロフィールを眺めて「これは」と思う分野の人をみつけ、順次電話なりメールなりして身元を名乗ると、 ほぼ確実に会ってくれる。それ興味あるんだったらこの人とも話してみたら、みたいに広がっていく。そんなわけで、 この2ヶ月で100人位の開発関係者と会っていた。

DCにいる人、とくに世銀の人には、国連(UNDP)がキライな人が多い・・・気がする。曰く、彼らは結局何もやってない、 経済的に持続的じゃない、GeneralistでDiplomaticで、 でもフィールドに張り付くばかりで専門知識も技術もEnforcing powerもない、云々。一方、去年UNDP側にいたときは、 世銀のアプローチに批判的な声を多く聞いた。上からものをいう姿勢、ローン貸出の量的拡大に追われてクライアントの身になって考えられない、 市場開放政策一本槍でやっぱり逆効果、云々。

出自もミッションも拠って立つ価値も違う2つの組織は、方法論や行動規範が違うのも当然といえば当然。ざっくりいえば、 内戦後とか政府の機能麻痺みたいな緊急事態を短期的・政治的に解くのが国連で、インフラ整備、成長みたいな課題を長期的・ 経済的に解くのが世銀、のはず。貧困削減を目指すところでは一致していても、そこに至る長い道程には国ごと、 地域ごとの事情に合わせて複雑怪奇に絡み合った開発ニーズ(民主政治樹立、行政機能確立、腐敗撲滅、公衆衛生整備、初等教育普及、 投資環境整備、貿易政策、金融政策、技術革新・企業家精神促進、産業競争力強化、云々)があり、いきおい、国連は左から、 世銀は右から攻める陣取り合戦みたいになる。最近はここに環境問題、HIV/AIDS、民間セクターの巻き込み、 などグローバル課題も絡むから更にややこしい、という感じがする。

中を見てみれば、世銀も世間で言われるよりずっと、過去の経験から学んで開発アプローチを刷新しているのがわかる。UNDPも、 僕がやった仕事がそうだとは言わないが、国連にしかできない領域でよい仕事をしている、と思える場面もある (かつての同僚N氏の東チモール再建などは特に感銘を受ける) 。理論に強くてもDCの本部にこもってばかりで現場を知らない、と巷で言われる世銀は分散化・ クライアント志向への組織変革をすすめてきたし、フィールドべったりでもProfessionalismやExpertiseに乏しい、 と言われるUNDPも民間的な組織管理とかナレッジ・マネジメントに力を入れていた(同上・N氏のいたジャカルタ事務所など)。 もとよりだれも正解なんて知らない難題に取り組むのだから、しかもめまぐるしく進化(?)して難易度を増し続ける難題だからこそ、 それを生業にする組織も学び続けて、変わり続けてナンボ。しかるべきところでもっと協業もできればよいのですけどね。

以下、2つのリクルーティング・メッセージが好対照で、どちらも心に響いたので転載します。「自分の仕事を過大でもなく、 過少でもなく位置づけること」といったあたりを特に考えさせられます。(2つの原文は必ずしも世銀・国連と一致しませんが、 原文と違う組織に今は身を置くご本人からほぼ同様の趣旨でお話を伺い触発されたので)

 


 

明日の日本を、世界を担うことになる新世代の皆さん、今の社会をどう思いますか?  合理的思考があれば危機感を持たざるを得ないはずだ。でありながら、何やっても無駄だ、 と不満と虚無感のみ漂う大衆民主主義の中で埋没してないだろうか。否、自分でやれることがある。社会的責任を果たすだけでなく、 自分を含めた社会のあり方を所与でなく対象として考えられる場、それが○○だ。
・・・
勿論、哲人王に全く及び得ない我々の判断は、後世の歴史の審判を仰ぐより他ない。我々が常に正しいと信じるのは傲慢である以上に愚劣である。 後知恵だが、失敗もあったと思う。理性的な判断をするには、気負い過ぎないことも肝要である。しかし、他方、 ○○ほど情報と政策手段が集中している組織が他にあろうか。
・・・
君は、今、この冊子を手にしている。それだけで、人類64億の中で既に特別な立場にある。世界中の貧困を見たまえ。 そこまで想像力が広がらなくても、君が享受してきた生活と教育は、国内でも遥かに平均以上だ。別に、君が、また、我々が偉いと言っていない。 しかし、君には、その能力で社会に貢献する義務、ノーブレス・オブリージュがある。その義務を果たし、かつ、 その努力の過程を誇らしく楽しむ権利もまた、君の目の前にある。君と議論できる日を待っている。

 


 

あらゆる職業に従事する人がおそらくそうであるように、私も××では働きながら自己嫌悪に陥ったり、仕事の意義に疑問を懐いたり、 将来の見通しに絶望することがよくあった。あらゆる職業と同じように、××には光栄と悲惨の時間がともにあるのであって、私にはそれが 「より光栄な」、いまはやりの言葉でいえば「かっこよい」職業だとは少しも思わないのである。一つはっきりいえるのは、 どんな職業上の助言にしろ、それは一般的に通用するものではなくて、 特定の個性と能力と背景を持つひとりひとりが自分の可能性と限界にひきあわせて、 自分のレベルにひきずり下ろして考えることなしには意味がないということである。
・・・
あまりにも一本気な純粋な理想主義者にとって、現在の国際政治、またそのかなり忠実な鏡としての××は、 まったく不満足であり不潔なものとして映るにちがいない。だが、だからといって、われわれは一体どこに行けばよいのだろう。××を通じる、 まだるっこく手間のかかる道のほかに、平和と国際協力の道があるとでもいうのだろうか。必要なのは、 ××のかかげる高い理想と現実の政治現象をつなぐ中間の理論であり、展望なのだともいえる。 われわれは世界連邦が必然的にできるといった楽天的な信仰をもつ必要はないし、 かといって権力政治がいままでのようにこれからも無限に続いていくといった悲観論者になることもない。 ××職員になによりなければならないのはこのようなバランスのとれた歴史的視野であり、そのなかで自分の仕事を過大でもなく、 過少でもなく位置づけることであるといってよいかもしれない。

 


 

世銀を引退されたあるシニアな方からは、「貧困は減らせるが、なくすことはできない」というお言葉をいただいた。うーん・・・ そうなのかなあ。

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