konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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戦争の跡

前回の続き)

民族・宗教のるつぼ感にも増して他ではそう見られないサラエボの特色といえば、10年前のボスニア戦争の名残。 「bulletholes(銃痕)」「graveyards(墓地)」「landmines (地雷)」、、、。 これまであまり聞き慣れなかったこんな英語を、こうもリアルに感じる街があろうとは。

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銃弾の跡が残る建物が続く。戦時中の前線に沿って、いろんな逸話が残る。曰く、 この大通りでは脇の高層ビルにセルビア人狙撃種がいつも構えていて動くものは老若男女問わず標的にされたのだ、 あっちの脇道では住民がアパートから手榴弾を投げて戦車の侵入を阻んだのだ、云々。

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1984年冬季オリンピック会場になったサラエボ。五輪の記念塔はそのまま残っているが、目線を下ろすと・・

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人口30万人のサラエボで1万人の市民が死んだ戦争。街中に墓地をつくってもまだまだ足りず、 オリンピックの競技グラウンドまで使われた。 93年没、94年没と刻まれた墓がどこまでも続く。通りを歩いていると、名前・ 没年が刻まれたプレートが建物の壁に沢山貼ってあるのを目にする。ここで撃たれた人、の墓標代わりだろうか。 他民族国家だったユーゴスラビアの中でも、民族融和がとくに進んでいたボスニアでの民族間の戦争は、家族・親族の殺し合いでもあった。 建物の復興が進んでも記憶は簡単に消えるわけもなく、活気に溢れるように見えるサラエボ市内には、今でも目に見えない国境がある。

市内に残る爆発物、地雷の撤去もまだまだ済んでいない。国中の地雷の数は100万とも400万ともいわれる。 むやみに廃墟に立ち入るな、舗装されていない道には踏み込むな、等々。 Cleaは到着直後に3時間もセキュリティオリエンテーションを聞かされたそうな。うむうむ、確かに君は真っ先に踏みそうだからな。

* * *

月曜の朝からこの国のロマ人リーダーに会い、午後にはセルビアからNickもSkypeで遠隔参加して、 バルカン地域単位での事業づくりについて議論。ボスニアではインターンのCleaに加えて、 現地採用のGSB専任担当が3ヶ月前から稼動していて話の進みは早い。

もっとも、実現の難しさにも早くからぶつかっている。同じことがこれからマケドニアでも起こる公算大。政府、地方自治体、 民間中小企業、他の援助機関、海外大企業、みんながハッピーになる解が必要。 UNDPは金は出せないがコネと問題解決力と旗印で皆を引っ張る、という怪しげな役回り、これはなかなかのチャレンジ。 ベオグラードで聞いてきた話、マケドニアでの現地取材を総合すると、 ボスニアでぶつかった袋小路にうまいことブレークスルーが見付かったりする。効率的に課題解決が進んだ1日、 でも実現までの道のりはまだまだ険しい。とくに、感情的に複雑骨折してるボスニアは難しい。でも、 ボスニアもセルビアも置いてマケドニアだけで、では成り立たない事業だからはるばるここまで来てるのだ。夏の間に完成、は有り得ない。 どこまで先回りして重要課題を解けるか、残り1ヶ月が正念場。

* * *

サラエボのUNDPは午後5:30に閉まる。マケドニアでは普段(僕と副所長さんだけとはいえ)あと6時間は仕事するんだけどな、 と聞いて、Cleaはひたすら呆れ顔。中身はギリシャ人だけあって人生の楽しみ方をよく心得ている彼女は、さあ今日も遊びに行こう、 とばかり、サラエボの街に繰り出す。

ひとりで行くには気が引けていた場所がまだまだ残ってる、といいながら、例によって僕の倍くらいの早さで先を歩くClea。 山の上からは街が見渡せるはず、って、先にあるのは舗装されてない道。「車が走った跡があるから大丈夫でしょ」 うーん。 ここは自分が先を行くべきなのだろうか。どうか踏みませんように・・・。

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安全が確認できる道を通って、それなりに眺めが良いところに出る。一応満足したところで、おとなしくUターン。

山道の脇には野生のプラムとかブルーベリーがいっぱい生えている。よろこんで実をつまむのを横目に冗談のつもりで「食うなよ」 と言った先から、涼しい顔してかじり始めていたりする。ギリシャの田舎で育ったからどれが食べられるか分かるのだ、って、 そういう問題でもなかろうに。・・・でも、食べてみると確かにおいしい。

根性労働派を自認する僕は、そんな午後を過ごして信念がぐらつき防衛本能が働くのか、work-life balanceの議論をふっかけずにはおれない。だって今日は仕事した時間と同じくらい遊んでるんじゃあないか。 僕らのやろうとしてる仕事がどんなに難しくてかつ重要か考えたら云々。「でも、メールもチャートも明日の朝にだって書ける。仕事してたら、 あれもこれも見れなかったし、これやそれも食べられなかったでしょ」 うまく反論できない自分。

重要課題に絞って最短距離で問題解決すれば毎日こういう生活ができるはず、というのはわかっている。 そういう設計の技能が及ばなくて枝葉末節に流れたり、先読みが甘くて後で火を噴いたりで、 コンサルティング会社の職場の同僚たちは家に帰れない生活を続けている。「達成成果-期待値=満足度」 の右辺を最大化するために左辺二項をマネージする。言うのは簡単でも実行は難しい、と思い返して、今更ながら次のようなことに気が付く。 コンサルタントが追求するのはいつでもザ・クライアント(=トップマネジメント)の満足度、こう言うとかなり語弊はあるが、 比較的単純なものだったりもする。開発の仕事ではクライアントはドナー・コミュニティ(先進各国政府+基金、思惑色々)であり、 一応の価値基準は最終被益者(途上国国民)の人権の向上であり、それはなんとも測りにくく、 しかも測れる規模で変化がおきるまでには途方もない時間がかかり、これまた途方もない中間成果物(腐敗が横行する途上国政府の行政機能確立、 戦災復興、民族間の緊張緩和、云々)を生み続けなければならない。

開発の現場での仕事の進み方には、上のコンサルタント的なストラクチャーだのディシプリンだのはまったく存在していないように見える。 同じように設計しても全体像と個別活動の関係を想定しきることがどのみち不可能だからやらない、 あるいは学問の世界に任せておいて自分は目の前の事をやる、ということなのかもしれない。それでも諦めないで、複雑系から「貧困削減」と 「民間市場原理に基づく利潤追求」という二つの要素だけ引っ張り出してつなげて、 NY本部数名と各国インターンのマッキンゼー出身者が寄ってたかって得意の問題解決をしようじゃないか、というのがGSBのはず。

そういうスコープで自分は仕事の設計がちゃんとできてるか、できてたらライフスタイル改善するはずだろう、 いやでもCleaの言ってることはもっと原始的なことのような気がしなくもない・・・、そんなことを考えているうちに、Cleaは 「今日はもう疲れたから寝る」と言って帰ってしまった。うーん。まあいいや。

夜のサラエボは壁の銃弾の跡も目立たなくなり、モスクやら教会やらがライトアップされて一際きれい。街の見かけ同様に、 人の心が癒えるのはいつの日だろうか。

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