konpe's 夜の仕事記

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アフリカ:歴史編

一方、旅の後半の舞台は、はるか西のガーナへ。

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大陸右端のタンザニアからはるばる左端近くまで、若干イレギュラーな旅程になったのは、ガーナ大学で歴史の研究をしている友人の友人、 M氏に会いに行くため。素人だけでは到底足を踏み入れられない生アフリカをご案内いただけることに。

大学を、マーケットを、下町を歩く。

舗装も、下水もない道。街ではガーナがワールドカップ出場決定ということで盛り上がり、街頭テレビのサッカー中継に人が群がっている。 バスターミナルには時刻表も行き先表示もなし。座席がいっぱいになったらとりあえず出発。10台くらい、ぎっしり並んだバスの中から、 係の人が行き先を叫びまくるのを聞き分けて乗る。ぼーっとしてたら轢かれるか、人ごみに流されるか。どっちを向いても人、人、人・・・。 信号で車が止まったら、窓辺にわらわらと寄ってくる物売りの人たち。水、せっけん、物干し、かばん、犬(!)、地球儀(?)・・・。 まさに路上なんでも屋、でも誰か買う人いるの?

ガーナにはタンザニアほど観光客がくる訳でもなく、外国人は珍しがられるようだ。マーケットをうろうろしていたら、 元気のいい若者10人弱にからかい半分に取り囲まれる。

「おまえ中国人か?」

「日本人だが。」

「カンフー出来るか?」

(ちょっと違うんだけど・・) 「エイヤー。」

「おおおーっ。ユーアーマイフレンド」

きわめてあやしい演技だが、どうやら認めてもらえたらしい。わいわい人が集まってくる。踊りを教えてくれるという女の子、 携帯電話を見せてくれという子、スリにはこうやって対抗しろ、とアドバイスをくれる子、、、。 マスコミはアフリカの悲しい映像ばかり流すけど実際とは違う、というM氏。ほんとうにそうだと思う。ガーナの人たちは皆、 ほんとうにいい顔して笑う。・・・ごめん、みんなが向こうで待ってるからもう行かないと。・・・なかなか離してくれない。 別れ際にがっちり握手&抱擁。手のひらが熱い。

* * *

ガーナの海辺は植民地時代「奴隷海岸」と呼ばれた一帯で、奴隷を収容していた城砦が残り、 国立博物館には忌まわしい歴史がつづられている。

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悪名高い三角貿易。(奴隷の行き先が日本の長崎にも伸びてる。。。)

捕まえられた奴隷が閉じ込められる、うす暗い部屋。出口は、通れば生きては戻れない「Point of No Return」。 3人に1人が奴隷船での航海中に死亡、生き延びても新大陸で非人間的な扱いが待っているだけだ。「さっき、一緒に踊っていたような人たちを、 狩り立てて、船に詰め込んで、輸出していたんです」とM氏。背中にいやーな汗が流れる。

白人が黒人を捕まえて奴隷にした、というのは必ずしも正確ではない。アフリカ西海岸にやってきたヨーロッパ各国の白人は、 先をあらそって沿岸部に拠点を作り、近辺の黒人有力者に武器を渡して同盟を結んだ。スペインに味方する者、イギリスに味方する者、 オランダに味方する者、、、沿岸の強い部族が各国陣営に分かれ、あらそって内陸の弱い部族を捕まえて白人に売ったのだ。捕まえた側、 捕まえられた側という黒人同士の様相は、今は誰も口にしないタブーになっている。当時そうやって強い部族に蓄積された富が、独立運動を経て (極貧、飢餓、内戦にあえぐアフリカ他国とくらべれば)比較的安定した国を造る土台になったのも事実。また、 ガーナの国造りを主導したのはみな、イギリスで教育を受けた知的エリートだった。日本とアジア諸国の歴史観に輪をかけてねじれた構図。

19世紀になって奴隷制廃止を主導したのはイギリスで、ギニア湾を警備艇で回りながら他国の奴隷貿易を妨げたのだとか。とはいっても、 奴隷貿易に支えられた産業化をいちはやく成し遂げ、経済力で世界のリーダーの地位についたのは他でもないイギリス。 資本主義社会には購買力のある消費者層が必要、として、アフリカを市場化することと他国の追随を絶つことを目論み、人道的見地も唱えながら 「世界の警察」として湾岸に兵を出す。なんか、どこかの国で今やってる事と同じだな。

ガーナからの帰国の便はKLMで、アムステルダムでのトランジットが8時間もあった。せっかくなので街に出て、Marine Time Museumに足を伸ばす。反対側のオランダから見た歴史はやけに華やかで、綺麗な交易船やら軍艦やらの展示が並ぶ。 奴隷貿易をあつかう一角もあるが、日本の長崎・出島やら福沢諭吉先生やらを展示するコーナーよりも小さかった。

能天気に始まり、重く幕を閉じた今回のアフリカ旅行。ボストンへの帰路、 隣の席の黒人乗客ににこやかに機内サービスするオランダ人スチュワーデスを横目に見ながら、順番が逆じゃなくて良かったかな、など、 ぼんやり考え事をしていた。

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コメント


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うーん、考えさせられますな。
グッドなナビゲーターに案内してもらえてよかったね。
アメリカに住んでいる黒人と話しているとよくアフリカでビジネスを立ち上げたい、彼らの生活レベルを上げたい、という夢を聞きます。
またちょっと違った捉え方で彼らの話を聞いてみたくなりました。

ted | URL | 2006-01-31(Tue)22:07 [編集]


ペルーもそうでしたが、今多くの貧しい人がいる一方で、同じ学校に留学に来るような幸運な人もいます。どうやったら僕らが耐えられないような貧しい状況がなくなるんだろう。何でその国の幸運な人たちは何かできないんだろう。
日本はそういう意味でいい国なんだなと思いました。

Kitaken | URL | 2006-02-02(Thu)18:32 [編集]


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