konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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(コソボ+アメリカ)*(セルビア+ロシア)=??

ベオグラードにてセルビア人の旧友と再会。彼には、僕がコソボで何をしているかは知らせていなかった。コソボで今起きていることは、 人一倍愛国心が強い彼にとって、喜ばしいことであるはずがないからだ。会ったときに直接、ゆっくり話そう、と思っていた。そして幸い、 ベオグラードに来る機会がもてた。

えっ。ミトロヴィツァで仕事してるって。北?それとも南?・・・そうか、南か。 アルバニア人と一緒にいるんだな。経済開発って、いったい全体どういう経済だよ。麻薬取引、売春、 人身売買のビジネスならいくらでもあるだろうけどさ、他にコソボにいったい何があるっていうんだ? アルバニア人社会がどういうものか、 もう知っているだろう。原始的で、乱暴で・・・だいたいなんであんなに子供が沢山いるか知ってるか。アルバニアの男は女にこう言うんだ、 「女の仕事は妊娠することだ。お前達はいつでも妊娠しているべきなんだ。してないなら今すぐ妊娠させてやる」・・・

子供が多いのは事実。戦争中、コソボの平均出生率は6.5だった。ある人はこれを、民族浄化に対する文化的自衛反応だと言っていた。 息子が少なくとも3人必要だったんだ、とまた別の人は教えてくれた。ロジックはこう。1人は戦いで死ぬだろう。 1人は親元に残って家族を守ってもらわないといけないし、もう1人はドイツに出稼ぎに行って、家族を財政面で支えないといけない。そうして、 息子が3人になるまで生み続けると、娘も入れてだいたい6人になるのだ。出生率はNATO介入と戦争終結に伴い劇的に下がっているが、 下がったといっても現在3.5である。2を大幅に下回っている日本やヨーロッパ主要国から見ると、驚愕の数字。 マケドニアでマケドニア系住民が、いつかアルバニア系住民に国を乗っ取られるのじゃないか、と恐れるのも、まさにこの出生率の違いによる。

セルビア人はクロアチア人とも憎みあっているしボスニア人とも仲が悪いけれど、 長い目で見ればこういう対立は忘れ去られると思っている。自分だって休暇はクロアチアで過ごす。あそこは東ヨーロッパで一番美しい国だ。 けどアルバニアは、アルバニア人だけはだめだ。文化的にも宗教的にも違いすぎる。アルバニア系マフィアが、 中東からの麻薬を全部おさえてヨーロッパに大量に売りさばいているのも知っているだろう。 ああいうマフィア同志の抗争のおかげでバルカンはいつまでたっても安定しない。アルバニア人は地域の恥だ。

いつの時代も外の脅威に晒され、強大な帝国に次々支配され、身内しか頼るものがなかったアルバニア人は、 独自の家族社会を築き上げてきた。国よりも宗教よりも何よりも、家族が社会生活の中心になる。 とくに一番最近のオスマン帝国による支配の際はイスラム教への改宗を求められたが、オスマンは中央集権的というより地方分権が進んだ国で、 人頭税さえ払えば改宗も強要しない、という政策をとった。税金を払いたくない人々は表面的にはイスラム教徒になったが、 決して熱心なイスラム教が定着した訳ではない。

そして、宗教の代わりに人々を律していたのは、カヌーンと呼ばれるアルバニア独自の、 家族を中心とする不文律だった。これは男女の役割、結婚のしきたり、家族のあり方、等々を定めたもので、 とくに日本の江戸時代の仇討ちにも似た、家族間で抗争があった場合の武力解決を合法としていた。娘の結婚の際は、 父親が嫁入り道具一式と一緒に銃弾をひとつ、新郎に贈るのが慣わしだった。「万一、娘が不義理を働くようなことがあれば、 いっそこれを使って・・・」という意味だ。

典型的なアルバニア人家族では、息子が3人いれば3棟の家屋を隣接して建てる。孫が9人いれば、そして経済力が伴えば、 さらに9棟の家屋が建つ。そして親類縁者が寄り集まり、なかば村落のようになったこれらの家々をまとめて高い塀で囲み、 絶対の権限を持つ家長は地方の有力者となっていく。かれらは独自に武装し(人口200万のコソボにはいまだに50万丁程の、 つまり一家に一台以上のカラシニコフが未回収のまま民間で保有されているとされる)、経済的にも軍事的にも、 有力氏族が社会の構成単位になってゆく。カヌーンは今では廃止されたことになっていて、氏族間抗争もその大半は仲裁され、 女性の社会進出も進んでいる(女性の大臣も国会議員もいる)が、家族中心の社会形態は特に地方を中心に今でも根強い。

コソボの企業はほとんどが家族経営だ。ドイツやスイスやアメリカで成功した子息が資金とアイデアを持ち帰って、 表経済で活躍するようになった氏族も多い。が、相変わらず高い失業率や政情不安も相俟って、裏経済はそう簡単にはなくならない。 コソボがマフィアを追放して表社会中心の経済に移行できるかは、政府が汚職ときっぱり手を切って法の支配を確立できるか、より本質的には、 もっと民間投資、雇用創出、経済成長が進むか否かにかかっている。そして、そのためには近隣諸国、 とくにセルビアとの建設的な経済関係づくりが欠かせない。

セルビアにとって文明の故郷だし建国の地だし文化宗教遺産の宝庫でもあるコソボを失ってしまうことは、残念ながら、 もう受け入れるしかないのかもしれない。個人的にはいっそ、 アルバニア人のいるコソボなんてきっぱり切り離してしまったほうがセルビアのため、とも思う・・・けれど、北ミトロヴィツァだけは別だ。 いいかい、僕は先月、はじめてミトロヴィツァにも行ったんだ。南に行こうとしたら、橋を守っているKFOR(NATO部隊)に止められた。 「あなたセルビア人でしょう、どうしても行くっていうなら止めないけど、身の安全は保障できないよ。 アルバニア人とセルビア人のトラブルは絶えないし、ちょっとしたイザコザがものの数分で大規模衝突に発展しても何もおかしくないんだから」・ ・・。あそこに住んでいるセルビア人同朋が、アルバニア人の支配に耐えられるはずがない。コソボ北部はまだセルビアだ。

ああ、これは僕にとっての試練でもある、と思った。彼が言うことは、セルビア人全般の、 またミトロヴィツァ北部のセルビア系住民の意見を代表していると見ることもできるし、真実の一面をとらえてはいる。けれど、 全く違った真実も同時に存在することを認め、過去にしがみついて分断を深めるかわりに未来の可能性を一緒に考えることなしには、 永久に進歩はないのだ。アメリカまで行って一緒に学んだ彼と僕との間で建設的な対話が起こり得ないとしたら、 いったい他の誰にそんな仕事ができるだろう・・・。

*  *  *

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ICOミトロヴィツァ事務所の朝は、お隣の子供たちへの「ミラメンジェース!(おはよう)」から始まる。

この子たちは、最初は僕を見て例によってジャッキーチェン、ジャッキーチェンと声を掛けてきた (ここではアジア人といえばジャッキーチェンしか知られていない)。違う違う、日本人だよ、ナオトというんだよ、といったら、 なじみのあるドイツ語圏の名前と区別がつかないらしく、オットー、オットーと言う。写真を撮ってプリントして1枚あげたら、 このテクノロジーに驚愕した彼らは更に名前を混同して、いまだに僕を見かけるたびに「フォト、フォト」と言う。いや、だからナオトだってば。

アルバニア語に、「harea」という言葉がある。「いつもニコニコしてるナイスガイ」、という意味。 英語でも日本語でも3~4単語必要なこのコンセプトを、1語で言い表す単語をこの言語は持っている。 「いっつもなんだか険しい表情してる難しい奴」という単語もある。エスキモーには違う種類の雪を意味する言葉が10も20もある、 といわれるが、アルバニア語圏では、人間中心社会がみごとに言語にビルトインされている。レストランに行けば、 席に着くのはだいたい店員全員と握手してから。アルバニアが話せれば、「やあやあ、奥さんはどうしてる、親兄弟はどうしてる、 仕事はどうなってる、世界はどうなってる」と、世間話してるうちに30分くらいは経ってしまう。食事が終わったら、「また来てね」 とまた店員全員と握手。失業率50%のこの国では、平日昼間からカフェでみんな座っておしゃべりしているが、 どうやら話すことは尽きないらしい。

ドイツ人同僚のPeterは、そんなアルバニア人社会に惚れ込んで、もう5年もコソボにいる。 ドイツが無くしてしまった人と人とのつながりがここにはまだある、と彼は言う。これだけ国中に武器があっても、 コソボの犯罪発生率はなんとドイツのどの街よりも(つまりヨーロッパのどこよりも)低いのだそう。 ほとんどみんな親類か知り合い同志なのだから、ある意味当然なのかも。ヨソ者でもいったん受け入れられれば、 このドイツ人はどこで何をしてる人、というのが直接、間接に知れ渡り、病気になったり車が壊れたりするたび、 街じゅう総出で助けにきてくれる。「俺には国中に200万人のボディガードがいるんだ」とまで言う。

社会の二重構造を理解しないと仕事にならない、というのが経済開発にあたっての彼の持論。これは、 伝統的な氏族社会と近代社会との間で、台頭している人たちが全然違う、ということ。タテに伝統社会での地位(有力氏族等、 複数同心円状に広がる権力構造の中心からの距離の近さ)を、ヨコに近代社会での地位(政治家、官僚、雇われ経営者、等々の、 いわゆるinstitutional positionの強さ)をとって有力人物をマッピングしたとすると、 右上に位置するような人は実は誰もおらず、左上にいる人達が右下にいる人達を動かしているのがコソボの政治・経済・宗教界 (これらの区別は薄い)の姿。国際社会が介入して人工的に右下の構造を作ったが、 右下とばかり話して左上の存在を全く知らずにやってきたことがUNMIKの失敗の本質だといって、 彼は今日もアルバニア語で世間話をしに行く。僕などには到底入っていけない世界なので、いきおい、彼が裏担当、 僕が表担当という分担が成り立つ。

そして、同心円状に親類縁者が結びつくアルバニア人社会は、コソボ、アルバニア、 マケドニアそしてモンテネグロの一部へと国境を越える。数年前のマケドニアでの政局不安の際は、 同胞の危機だというので男達はカラシニコフ片手に、たちまち組織化して国境を越えて出て行った。 いったん中に入ると心地良いことこの上ないのだけれど、外に対してはそんなことばかりしてるから、ご近所の国々からの評判はすこぶる悪い。

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そして、ああ、やっぱり子供は大人の真似するんですよね・・・。

*  *  *

ベオグラードの町外れにある要塞の跡地。眼下に広がる街と2つの河を眺めながら、ハイフェッツ授業や枕叩き合宿 (ケネディスクールの秘密のイベント)を共にしたこの友人との話は尽きることがない。「人生の動機は何か?」 今はちょっと迷いがある、 という彼。5月の選挙で首尾よく穏健派が勝ち、主要な人物とつながる彼のところには副大臣級ポストのオファーも来たが、 全部ことわってしまった。強い野心を持って攻撃的に生きてきた彼に、ハイフェッツは「君は人々とのつながりを取り戻すべきだ」 とアドバイスをした。去年卒業して帰国してから、彼はそれに忠実に、自転車で国中の村を回ったりして、 ひたすらセルビアの国民感情を内在化していた。また、忙しく日夜働くのをやめ、少数の友人との密な対話を大事にするようにもなった。 だんだん、幸せ、ということの意味が違って見えてきたのだという。「この国を本当に動かしている連中は、たかだか300人だ。 大体みんなと会ったけど、なんだかとても不幸せな人達じゃないか、と思ったんだ」 僕のほうも、幸せ観とか、 そう考えるに至った経緯の話をする。被害者意識や執念や憎悪のサイクルを許しを起点に奉仕と喜びのサイクルに変える、 みたいな奇妙なエクササイズを枕叩き合宿でやったの覚えてるでしょ、僕にもそれを地で行くような、こういうことがあったんだ・・・。

ドナウ川とサヴァ川が合流するこの丘は古くから、西と東が出会う要衝だった。ここから北西は広大なヨーロッパの平原で、 南は山がちなバルカン半島。バルカンの各山脈は南北に走っていて、横の移動がむずかしい。だからコソボからセルビアに来るにも、 マケドニアのスコピエを経由して大きく南回り、1日バスに乗る長旅をする羽目になった(もっとも、 コソボとセルビアの国境は避けたほうが無難、という事情もある)。もし、あの山脈が南北じゃなく東西に走っていたら、みんなしてオスマン・ トルコに占領されることもなく、バルカンの悲劇の歴史は全く違ったものになっていたのかもしれないね、なんて話をする。 「どうしてこんなことになってしまったんだろう。」 セルビアの歴史観は本当に申し訳なく思ってしまうくらい、トラウマに満ちている。

ちょっと想像してみてくれないか。日本が中国と陸続きだったとしよう。 それで日本人の魂の故郷、そうだな京都に、中国人がたくさん移住してきているとしよう。神社仏閣に火を放って壊したりするもんだから、 小競り合いも沢山起きる。戦時中に南京で起きたようなことが、京都で起きたとしようか。やっぱり、 どっち側も自分に有利な数字を主張するよな。さて、アメリカは中国人の主張だけを聞いて、日本はけしからんと言って、 NATOを引き連れて東京をめちゃくちゃに空爆して、京都の中国人に自治を認めるという。かってに現地政府を作らせて、 国際法を無視して独立宣言までさせる。そして、アメリカ人は君の隣に座って言うんだ、「あなた悪いことしたんだから、京都はもう諦めなさい」 。どう思う?

ああ、そうだ。セルビア人のアルバニア人に対する憎悪は、決して全部がアルバニア人自体に向けられたものじゃない。 「自分の都合で動く」アメリカに、正面きって言えない恨みつらみもアルバニア人に向けられるんだ。前回、 3月にハーバードの企画でベオグラードに来た時は、 アメリカ人の一団として見られていて、会う人会う人、議論のあとに必ず口にする言葉がこれだった:"...but you bombed us!" セルビア人の親日感情は非常に強いし、日本もセルビアとの二国間関係をとても重視していて、コソボ承認の際の日本政府の声明文も 『でもセルビアとは引き続きお友達でいたい』みたいな、非常に気を遣った表現だった。この背後には、 アメリカに爆撃された共通体験を通じての共感がきっとある。

ロシアのグルジア侵攻をセルビア人はどう理解したのか、ときけば「混乱している」、とのこと。大国で唯一、 セルビアの肩を持ってコソボ独立を認めなかったロシアは、セルビアからすれば心強い友人だったはずだ。そのロシアが、 コソボ独立反対の論拠としていたterritorial integrity(領土統合性)をグルジアに対しては反故にして武力行使して、 南オセチアとアブハジアを独立させる、と言い出したのだから。「だからやっぱり、国際社会はコソボみたいな前例を作るべきじゃなかったんだ」  でもさ、コソボの件とは関係なく、ロシアはNATOに入りたがっているグルジアを「罰する」必要があったし、 同じくNATO寄りに動いてる、戦略的にずっと大事なウクライナへの見せしめの意味もあった、とICGとかは言ってるよ。 アゼルバイジャンの天然ガスと石油をロシアを経由せずにヨーロッパに送る唯一の経路もグルジアだし、 アメリカがグルジアに急接近するのをどのみち黙ってみているはず無かったんじゃ・・・コソボとセルビアなんて、 ロシアは本当はどうでもよかったんじゃないのか? そのうちロシアもコソボを承認、なんてことになったら、 セルビアは本当に孤立してしまうんじゃないのか? 「その通りだと思う。セルビア人もアルバニア人に負けず劣らず原始的で、 味方を作るのが下手すぎるんだ。チトーの時もそうだった」

眼下のドナウ川は、こういう歴史をずっと見続けてきたんだろうなあ。でも、行く川の流れは絶えずして、しかも同じ水にあらず、 ともいう。きみが最近切り拓きはじめた幸せの意味を、アルバニア人は実はずっと昔から知っていたのじゃないか? セルビア人が、 アルバニア人への感情とアメリカへの感情を切り離して、許しのサイクルに入るにはどうしたらよいのだろう? この地域のみんなが、 大国にいいように使われる歴史を脱するには、子供たちが銃なんかで遊ばなくてもいい社会をつくるには、何をすべきなんだろう?

*  *  *

ベオグラード訪問の仕事上の目的は別途あり、それはそれで前進したと思うけれど、 要塞跡地での友人との対話のほうが自分にとってはずっとインパクトが大きかった。悔しさとか未達感とか言ったほうがいいかもしれない。 それなりに深くまで下りたけれど、何かを生み出すには程遠いものだった。たかだか3ヶ月いて、 何十年も過去の呪縛に苦しんできた人達に易々と何かできるとでも思っていたのか、という自責の念もある。それ以上に、 両側の視点で事態を診るようさんざん意識していたつもりが、やはりアルバニア系の地域にいると自分もすっかりアルバニア寄りになっていた、 状況の力に屈してしまっていたことに結構ショックを受ける。

そして(立ち直りは早いほうなので)教訓は活かさないといけない、とばかりに 「ロシアのコソボやグルジアに対する姿勢についてバランスの取れた知見が欲しい」とロシア人で元外交系の友人にメールしてみたら、 いろいろ記事を送ってくれた(これとかそれとか、 あれとか、 こんなのまで)。うーーん。アメリカさん、本当はグルジアで何したんですか。

ベオグラードから南下してスコピエでバスを乗り換え、北上してコソボとの国境を越えると、 NATO軍のジープやら装甲車やらが通りを行き来する、見慣れた風景が目に入る。さんざんコンフリクト・ ゾーンを潜り抜けてきた同僚たちに教えてもらったおかげで、軍の装備とか建物のセキュリティ対策みたいな、 あまりお世話になりたくない知識も多少はついた。コソボの各国際ミッション(UNMIKやICO)の本部とか、各国の大使館なんかは皆、 それなりに強固なセキュリティポリシーで作られていて、たとえば自動車に爆弾を積んだ自爆テロみたいなものは防げる体制になっている。 とはいえ戦車で攻められたらひとたまりもないのだが、この国で戦車を持てるのはNATO軍だけだ。そして不思議なことに、米国大使館だけは、 なぜか戦車でも攻めにくいような立地と構造を持っている。加えてコソボには、小型版グアンタナモとまで呼ばれる米軍基地、キャンプ・ ボンドスティールがある。誰かが、中東まで直接○○とか××を飛ばせる距離内にある基地はここだけだ、と言っていた。 中世とか近代とはまったく別の意味で、バルカンは引き続き要衝になってしまった。レバノンでヒズボラから聞いたことがまた思い出される。 オバマが勝てばきっと世界は変わると思うけれど、どうも最近風向き悪いよね、とセルビア人友人は言っていた。

僕らはみんな、どうにも自分たちの力も理解もなかなか及ばない一見不毛なルールのゲームに、 否応なしに参加していることを現実的に受け止めなければならないのだろう。 壁を作って外のことから目を背けて中のことに一喜一憂している方が楽だけれど、外の系に働きかけて反応から学び、 理解の範囲と行動の品揃えを増やし、辛さを伴う中でも楽観を保ち続け、前進していくことなしには、 責務を果たすことも幸せを感じることもかなわない。そういうことをセルビア人とかアルバニア人とか日本とかに言う前に、 まず自分に言い聞かせなくてはいけない。そんな感想を持った、ベオグラード訪問だった。

いよいよコソボの仕事も、今週いっぱいで終わりです。

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