konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

コソボ背景3-ICO/EUSRという組織

所用で日本から国際電話をもらい、ひさびさに日本語を話す。携帯にかけてもらったのだけど、開口一番「konpeさんー、 なんで国番号がモナコ(+377)なんですか??」とのご質問。とても、ごもっとも。

コソボは、誰もが認める独立国じゃないので、まだ自前の国番号がもらえてないのです。紛争前はセルビアの国番号(+381) だったのだけど、2000年に国連の暫定統治下に入ってからというものセルビアからバックボーン回線を切られてしまい、 こまって相互接続してくれるところを募ったら、モナコの電話会社がきてくれた、ということらしい。そんな訳で、 コソボでは国内電話も物理的にはすべてモナコ経由だそう(だから料金もちょっと高い)。

こういう話は他にもいくらでもあって、 たとえば空港の管制塔の運営というのは国際的に承認された政府が世界の基準にのっとって行うことになっている (日本だったら国土交通省の管轄、とか)。コソボは独立国じゃなかったので、しょうがないから代わりに引き受けてくれる国を募ったら、 フィンランドの政府がきてくれた。そんな訳で、プリシュティナ(コソボの首都の名前)空港に飛行機でいらっしゃる方は、 フィンランド人の指図で着陸することになります。

そして、ややこしいのは前回書いた通り、半分コソボ、半分実質的にセルビア状態になっているミトロヴィッツァ。橋を渡って北に行くと、 だんだんモナコ番号の携帯は電波が通じなくなり、代わりにセルビアの携帯が使えるようになります。南で流通している通貨はユーロですが、 北にいくとディナール(セルビア通貨)が使われてます。車のナンバーも、もともと北に住んでる人はセルビアナンバーですが、 南からコソボナンバーの車で橋を渡ろうとすると目をつけられるので避けたほうが無難。ICOの公用車はEUナンバーですが、 これは更に危ない。国連の公用車(UNナンバー)なら堂々と北に入れます。 現地の人が南から車で行く時はナンバープレートを外して入っていたりして、おいおい、と思いますが、 北側ではナンバー無しの車をつかまえるような警察もとくに機能していないので大丈夫(いや、あんまり大丈夫じゃない)

phones

そんな事情で、セルビア番号の携帯、モナコ番号の携帯の両方を持ち歩くはめに。さらに右のごっついのは緊急連絡用の自前網無線機です。 幸い、まだお世話になったことありません。

さて今回は、ICOって何? という話。ICO/EUSR(International Civilian Office / European Union Supecial Representative)は、 国際なんちゃら、とEU特別代表、の2つがくっついた名前なのだが、日本語では単に「国際文民事務所」、と呼ぶことになっているらしい。 日本語wikiによると、 「アハティサーリ案に基づいて、コソボ政府による施政を監督する国際機関」と書いてある。何のこっちゃ、 という感じだが、とても大雑把にいうと、戦後の日本でいうGHQみたいなもの、というと想像しやすいかもしれない。

いや、似てる点はあるが、正確にはだいぶ違う。(半)独立・半壊滅状態の国に外国がやってきて、間接統治をつうじて国づくりをする、 というのは似ているが、おおきく違うのは以下の4点か・・・1)アメリカ1国でなく「国際社会」が一体になって運営してること、2) 敗戦国に戦勝国が入ってきて統治している、という関係ではなく、当事国の要請にもとづいて国際社会(の一部)が支援している、 という経緯があること、3)主なミッションが戦犯逮捕、非軍事化、民主化、といった応急処置でなく、政治、経済、社会、文化、 宗教等をふくむ包括的なものであること、4)なので、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)がその名の通り、 軍人を中心とした機構だったのにたいして、ICOはやはりその名の通り、おもに文官・民間で構成されていること。うーん、分かったような、 分からんような。

<国際社会って誰のこと?>

もう一段、敢えてつっこむと、まず1)の「国際社会」というのが曲者。これはまったく一枚岩ではない。 まずもってICOは国連と何の関係もない。前々回書いたとおり、(安保理で常任理事国のロシアが反対するため) 国連ではコソボという国はまだ存在していないことになっている。じゃあ、 独立国だという理解にたって国づくりを支援しているICO/EUSRとは国際社会の誰を代表してるのか、というと、 これまたややこしいことに、「ICO」と「EUSR」は別のものを指している。ICOはICR (国際文民代表)といういわばマッカーサーにあたる人をサポートするオフィス、という意味で、このICRの任についているのはピエター・ フェイスという人。この人をコソボに送り込んでいるのはコソボの独立を承認した国のうち代表的な国から構成されるインターナショナル・ ステアリング・グループ(ISG)なる連合体で、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、 スイスなど(日本はコソボを承認しているが今のところ不参加)。この地の安全保障に強い利害を持つこれらの国々が、 「独立後に我々が正しいと思うような国造りをちゃんと進める(我々が代表を送り込んで管理監督する)という条件を飲むんだったら、 独立させてあげてもいいよ」という姿勢でコソボをサポートした、といってもよい。なのでICRには強力な権限があり、 たとえば法案が議会を通ろうが大統領がサインをしようが、ICRがノーといえば止めてしまうことができる。

一方EUSRというのは、European Union Special Representativeという名前から分かるとおりEUの出先機関で、 これのミッションはコソボが将来EUの加盟基準を満たせるように現地政府を指導すること。EU加盟国でもコソボを承認していない国 (スペイン)があるし、ISGメンバーで主導的役割を果たしつつもEUじゃない国(アメリカ)がある、ということからも分かるとおり、 ICOとEUSRは目的も前提も違うのだけど、ややこしいことに同じ所帯になっていてピエター・フェイスが両方を代表している。なので、 彼が公式の場でうっかりコソボのステータス(独立国なのかそうでないのか)を口走るたびに、色んなところからチャチャが入り、「いや、 あれはEUSRとしてじゃなくICOとして言ったんであって」とか、なんとも分かりにくいプレスリリースが飛ぶことになる。

<歴史的、組織的経緯>

2)の「当事国の要請にもとづいて・・・」という経緯も、なんともわかりにくい。紛争直後まで遡れば、 1999年にNATOが介入してすぐ、コソボには国連コソボ暫定統治機構(UNMIK:ウンミック、 と呼ぶ)という行政組織ができ、ここが実質的な政府の役割を果たしていた。国際法上、これを正統化していたのは 「安保理決議1244」とよばれるもので、コソボは独立国家ではないけれど、 国連の監督の下で自治を認める、という扱いになっている。

とうぜん、コソボ(アルバニア系住民)ははやく独立したくてしょうがないし、西側主要国も独立させたいのだけれど、(今も昔も) 国連の中では独立はとうてい通りそうにない。なので、まあ、独立国かどうかは今は取り敢えず置いといて、まずは荒れ果てた国土を復興して、 行政能力なり経済力なりを伸ばさないと一人立ちもできないでしょ、というのが国際社会の姿勢だった(standard before status:「地位の前に水準」政策とよばれる)。いろんな過程を経て、このUNMIKはフェードアウトし、 新しくできたICO/EUSRが後を引き継ぐ、という方向で今は動いている。その経緯をざっくり言えば・・・

コソボ紛争当時はロシアが通貨危機の真っ最中で、 セルビアを外交的に支援する余裕もなかった。西側諸国にはセルビアのEU加盟を「アメ」にすればコソボを諦めるという「ムチ」 も受けるだろう、コソボ、セルビア両方を西から支援して立て直し、周辺国も含めてバルカン地域が皆EUに入れるくらいに発展すれば、 オスマン以降ずっと続いたこの地の安全保障問題がやっと一件落着する、 ついでに皆をNATOにも入れてしまえばロシアを封じ込めることにもつながる、という思惑があった。が、その後の石油価格高騰、 プーチン政権の舵取りもあってロシアの国力は大きく回復し、セルビア国内の急進派、 ナショナリズムも押さえ込まれることなく連立政権内で一定の地位を占め続け、結局2000年から2008年までの間ずっと、 コソボを独立させるか否かについて国際社会は割れたまま。

コソボではその地位の中途半端さから政情不安と経済不振が続く・・・ すぐ民族間の緊張につながるし、国なのかどうかも定かじゃない場所に誰も投資なんてしないので雇用も生まれければ技術導入も進まない。 アルバニア系住民からは「UNMIKは問題先送りで何もしとらん」という不満が高まり、2004年にはミトロヴィッツァで (前回記事の写真にあるような)衝突も起き、このままいくと紛争に逆戻りという最悪の事態も、というところまできて、結局、 西側諸国は国連での解決をあきらめ、自分たち主導で独立させようと腹を固める。「地位の前に水準」 といっていた一人立ちできる水準にはまだ到底達していないが、背に腹は換えられぬ。もちろんセルビア、ロシアからすると、そんなことは 「違法」である。

この独立に向けた交渉の仲介をしたのがアハティサーリ国連特使という人で、彼はどうにも決着がつかないせめぎ合いの末、 2007年に独立の形態と新国家の運営方針についての青写真をまとめる。これは「アハティサーリ包括的解決案 (アハティサーリ案)」と呼ばれ、コソボの憲法や各種国内法の下地になっているもの。 ICOというミッションの正統性もこのプランに依っていて、 ISGが任命するICRがこのプランの解釈および実施のすべての側面について政府を監督すること、そのためにICOを設置すること、 等もプランの一部になっている。

<ミッションとその進捗>

つまり3)でいったICOのミッションとは冒頭のwikiの記述にもあった通り、アハティサーリ案の実現だ。が、 UNMIKからICOへの引継ぎはなかなか進んでいない。 UNMIKは縮小していないし、ICOは人手不足だし、 どこまでがUNMIKの仕事でどこからがICOの仕事か、現場での手探り状態が続いている。 UNMIKのプレスブリーフィングでは記者がよく「いつになったらUNMIKは"reconfigure"(縮小)するんだ」と詰め寄り、 「現在ニューヨーク(国連本部)からの指示待ちであります」みたいなコメントが繰り返される。 そしてUNMIK職員は仕事の片手間に転職活動を始めていたりする。

これを国際官僚組織の非効率と機能不全の表れだというのは簡単。でも上のような経緯を踏まえれば、 UNMIKからICOへの引継ぎはすなわち安保理決議1244をアハティサーリ案で上書きする (コソボが独立国家かどうかについては言及しない(status neutral)という立場から、コソボは独立国家とする立場に移る)、 という意味で、この移行が進まないというのは双方の勢力が拮抗しているということ。1244だけが有効とする立場からはUNMIKは縮小、 撤退してはいけないので、代わりにreconfigure(再構成)なんて言葉が使われ続けていること自体、それをよく物語っている。

この拮抗にはいろんなレベルがある。 コソボ国内ではアルバニア系住民とセルビア系住民の緊張があり、セルビア国内では急進派(コソボ独立断固阻止)と穏健派 (そうはいってもセルビアもEUに加盟したい)のせめぎ合いがある。視点を引くとコソボ(自称)政府とセルビア政府の関係があり、 さらに引くとアメリカや西欧主要国とロシア、中国など新興大国との立場の相違がある(独立問題に限らず、気候変動とか核拡散とか、 いろんな文脈で)。EUのように利害が一致しやすい地域機構が躍進する一方、国連は壁に突き当たる、 という国際政治全般の構図もよく現れている。

そして、これらの拮抗はみな相互に連関する。下位レベルの出来事が逐一、 大勢に影響をおよぼす一方、上位レベルでの力学を現場は注意深く見守り、行動を調節していく。先の5月のセルビアの選挙 (穏健派が急進派を抑えた)は、コソボ独立をうけたセルビア旧政権の連立解消などいろんな経緯の結末でもあり、 一方で地域のダイナミクスが時間をかけて大きく変わってゆくひとつの転換点でもある。

分断された街、ミトロヴィッツァはそんな拮抗の最前線でもある。ICOミトロヴィッツァオフィス)の動き方には、 それがよく現れている。ニューヨーク(UN)、ブリュッセル(EU)、プリシュティナ(コソボ政府)、ベオグラード(セルビア政府)・・・ どこで誰がどんな発言、みたいな話を、皆があちこち飛び回ってかき集めてきては、毎朝のミーティングであれやこれやと解釈を加える。 さながらインテリジェンスサービスである。

たかだか10人のチームだが、こういう仕事に関する選りすぐりの精鋭部隊なのだと思う。ヘッドはイギリス政府出身で、 駐北朝鮮大使を務め、アフガニスタン赴任を経て現職。副ヘッドはアメリカ国務省をリタイアしてコソボに来た。 スイスの外務省とかフィンランド特殊部隊出身者もいる。僕のやっている経済方面での相方はドイツ人で、 東西ドイツ統合に際して東側で国営企業の合理化・民営化をミッションとする組織を率いていた。コソボ人の現地スタッフ(アルバニア系、 セルビア系両方)もいて、現地密着情報を集めてくる。セルビア系の同僚はもちろん北側に住んでいる。彼はICOに勤める (コソボの独立を認める)ことで北側の急進派から裏切り者扱いされ、家族にまで危険が及ぶリスクを負うのだが、セルビア、 コソボ双方の明るい未来(EU加盟)を信じるから、毎日橋を渡って通勤しているのだ。

<EU系ミッションの門構え>

ICOはミトロヴィッツァで10人、全体でも100人程の組織。アハティサーリ案は「包括的解決案」というだけあって対象が広いので、 法律やら宗教やら地方自治やら、いろんな分野の専門家がいる。UNMIKからの移行が済む頃には、 300人くらいの組織になると見込まれている。が、そんな小さな所帯で、国造りの監督だなんて大層な仕事が果たせるのか?  (比較のためにいうと、縮小前のUNMIKは数千人規模の組織である)

答えはもちろんノーで、ICOは文民事務所というだけあって、企画系(立法や行政および外交の支援)機能に絞りこみ、 それに見合った組織になっている。もちろん立法の主体はコソボ議会で、行政の主体はコソボ現地政府。EUはICO/EUSRの他に、 司法を担う実行部隊のEULEX(千人規模)、EUの資金を使った個別の経済開発プロジェクトを統括するEuropean Commission Liason Office、といったいくつかのミッションをコソボにおいている。

chain_command

(ある国内メディアが書いていた関係図)

ちなみに、これだけでも色んなアクターがいてごちゃごちゃしてるのだが、 ここに入っていないNATO軍(KFOR)も引き続き治安維持のために駐留するし、OSCE(欧州安全保障・協力機構: 日本ではあんまり話題にならないけれど、EU諸国に加え米、カナダ、ロシア等による重要な地域機構) も大きなフィールドオフィスを持っている。暫定ミッションとしてのUNMIK以外に途上国の現場ではどこでも活躍している国連組織 (UNDP、UNHCR、UNICEF、UNHABITAT、IOM、等々)もいる。世銀やIFCももちろんいる。USAID(米国開発庁) も大規模プロジェクトをたくさんやっていて、コソボ財務省とかに行くとUSAIDに雇われたコンサルタントがinstitution buildingの陣頭指揮を執っていたりする。さながら国際援助機関のオンパレード。

JICAはまだないが、日本からも援助資金はそれなりに (1999年以降の総額200億円程)入っている。先週、ブリュッセルでコソボの独立後の国造りに向けて各国が支援額を決める「ドナー・ カンファレンス」というのが行われ、約束された支援額は約1200億円。ちゃんと比較したわけではないが、 たぶん人口当たり援助額とか国際機関のスタッフ数でいうとコソボは世界最大なんじゃなかろうか。

*  *  *

去年、一昨年ともに、夏をつかって開発、とくに民間セクター開発を通じた貧困削減、という仕事に関わった。 今回もそのつもりで来たのだけれど、来てみて(遅まきながら)気がついたのは、 ここで行われなければならない仕事は自分がこれまで理解していた意味での「開発」ではない、ということ。紛争後の平和構築とか安定化と、 安定・成長ステージに乗った国の開発、というのには大きなギャップがある。 コソボは前者から後者への移行期の最終段階にありながらもなかなか前者を脱却できずにいて、脱却するために必要なのは(国内にとどまらず、 ご近所さんや地球の裏側の大国も含めた)政治的解決であり、それは現地近辺とワシントンやニューヨークやブリュッセルとの間で、 現地の人々からはじつに見えにくい形で進行している。そして、その進捗は国際社会がどこまで何を合意して、 現地にどんな枠組みで支援機構を作りどう運営するか、に大きく反映される。

上ではICOの背景についてつらつらと細かいことまで書いたけれど、したかったことは日本(GHQ)とコソボ(ICOおよび諸機関) における外部統治の形態の比較だった。戦後の日本ではアメリカ一国が重量級の組織をつくってすみやかに国の大改造をしたのに対して、 コソボでは国際社会で未解決なままの問題を背景に、いろんな機関がせめぎ合いつつ機能分担しつつ、ゆっくり慎重に動いている。GHQ (を取り巻く歴史的背景や国際社会の文脈)は比較的シンプルだった、というと異論がありそうだし、 GHQの統治が日本にとって良かったかどうか、というのも色んな議論がきっとある。でも、 コソボのややこしい状況に身をおいて生でつぶさに見ていると、日本で起きたことと比較して考えずにはいられない。

ここでは日本人というのはとても珍しいので、「日本はどうして奇跡の復活を遂げたのか?」 「どうしたらコソボは日本のようになれるのか?」と時折聞かれる。もちろん日本が戦前に蓄えた人的・技術的・文化的資産も、 戦後の日本人自身の驚異的な努力と独創性も効いている。けれど、終戦直後の立ち上がりの初期条件がどういう外的支援の枠組みでつくられたか、 ということの影響も小さくないはずだ、とも思う。

国際社会が介入する国造り(nation buildingとかstate building)、というプロジェクトは、 コソボやボスニアに限らず、東チモール、アフガニスタンからイラクまで、近年あちこちで行われているし、なぜうまくいかないか、 どうすべきか、という議論も散々なされている(興味のある方はこれとか、 学術記事にアクセスのある方はこれとか、 これとかご参照)。もっぱら、そういう見通しを立てた上で戦争をしかけるかどうかを決めるアメリカの立場からの議論なので、 日本で育った者としては複雑な感想を持つ。けれどこういう分野に踏み入ってみると、 そもそもNationとStateの区別も知らない不勉強な自分には新鮮な世界観だし、開発・ 貧困削減と平和構築はコインの表と裏の関係にある(開発資金が多かれ少なかれ安全保障の名目で出る)し、 日本という国の成り立ちについてあまり自覚していなかったことを外の視点から捉える機会にもなる。そして、 そういうテキストが過去をレビューするときは決まって、「nation buildingの成功事例は、いまだに2つしかない」とくる。 日本とドイツのことだ。

コソボへの国際社会の対応は、そうはいっても他の例に比べればマシな部類に入るはず。 アメリカがベトナムの失敗から学んだあとにユーゴ紛争とNATOの介入があり、その後に9・11が起きてアフガニスタン、 イラクに行ったという経緯を見れば、コソボでの暫定統治の確立はアメリカの対外政策が谷から小山そして谷に落ちる流れのちょうど山の時期。 上の記事では、9・11以降のアメリカではホワイトハウスと国務省からペンタゴンに主導権が移ったのがまずかった(戦争には勝てても、 そのあとに憲法を書いたり、「良い」テレビ番組を作って流したり、経済運営をしたりする組織能力がペンタゴンにはない)、 みたいな書き方をしたりしていて、また日本の歴史を思い出す。

独立問題で割れているとはいえ、それなりに大国の大部分が歩調を合わせられているコソボでは、 アメリカ主導で作られた暫定統治体制はEUに引き継がれていく。一方、アメリカの単独行動でえらいことになったイラクから、 米軍を引き揚げるのだとオバマ候補はいう。大統領が変わる前にイランで何が起きる (かもしれない)か、の話も思い出される。向こう数年で中東から波及して世界がどうなる(かもしれない)か、 悪いシナリオを想像すればきりがない。

ICOミトロヴィッツァオフィスでは上記のとおり、 こういう情勢にかけては情報量も解釈能力もピカイチの面々が揃っているので・・・否応なしに自分の感度も高まる。いま、 世界の先進各国の部隊が他国に展開してる主な場所はイラクとアフガニスタンとコソボだろうけれど、どこかから誰かが引き揚げるといっても、 部隊が消えてなくなる訳じゃない。利害がより強い他の誰かが真空を埋めて(もしくは、真空のまま放置されればぺちゃっと潰れて)、 消えた部隊はどこか他の場所に展開するということだ。うーむ。

そういうのに比べたらコソボの国内事情、ミトロヴィッツァの現地事情は、多少ややこしくたってずっと前向きだ。 政治要因やら安全要因やら色々あれど、こんな恵まれた環境で、多少の困難で弱音を吐いてはイカン・・・と自分を叱咤激励する日々。

*  *  *

そんな、とりとめもないことを色々考えさせられる環境ですが、普段はもっと地に足の着いたことをしています。次回こそはもうちょっと、 中身の話も。

スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。