konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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コソボ背景1-コソボという国

コソボに来て、はや1ヶ月。身の危険を感じることもなく、元気に過ごしています。勉強したことを余すことなく総動員しても、 ぜんぜん足りないことばかり。またもや日々学びです。

日本に戻る前にもう一段、自分のcomfort zoneを押し拡げたい。経済開発、ビジネス、国際関係、 社会の適応的課題が交錯するところで役に立てる仕事をしたい。2年前の夏にマケドニアで見始めたバルカン問題が、 コソボ独立を経ていよいよ最終局面に入るところをこの目でつぶさに見ておきたい・・・。諸々の思いがあって、 苦労大歓迎のつもりで来てはみたものの、予想以上に難しいことだらけ。

さしあたり、毎日停電+断水するので、トイレのための水をためつつ、 ローソクに火をともして本やら論文やらレポートやら読んで次の日のプランを練るのが夜の日課です。

通りではNATO軍が戦車なんか乗り回していて、ふつうに機関銃持った兵隊さんが交差点を固めたりしています。 この界隈を守っている部隊と、僕の勤務先のみんなとで毎週ミーティングをすることになっていて、迷彩服を着た人達と机を囲んで地図を広げ、 この道がどうの、あの橋がこうの、と言っていると、えらいとこに来たなあ、と今更ながら実感します。兵隊さん(特にベルギー部隊) は酒も強くて、こないだも散々飲まされ、つぶされ、軍用ジープで家に送ってもらうはめに。運転してた人も飲んでた気はするが、まあよし。

居候させてもらっている家には小さな子供たちが4人いて、僕を見るとなぜだか「ジャッキー・チェン!」とか言って駆け寄ってきます。 最初は「アチョー」とか真似事をしてあげたものの、いや、日本人はもっと平和な民族なんだ、 と思い直して折り紙を教えてみたらこれまた大喜びされて、期せずして折鶴の大量生産にお付き合いすることに。これは、 夏の終わりまでに千羽鶴ができるんではないか。・・・そんなこんなで、一応、平和的な貢献をしてます。

勤務先はICO/EUSR(International Civilian Office / European Union Special Representative)の、Mitrovica(ミトロヴィッツァ)事務所というところ。コソボ人、 いろんな国際ミッションの人を問わず、「ICOのMitroで経済開発を担当してます」というと、その一言で目を丸くして、 いろんな反応をする。「それはそれは、ご苦労なことで・・でも、やっぱり、無理なんじゃない?」「なんでまた日本人がICOに?」 「なんでまたICOが経済開発を?」「何もしないでくれ、国際機関はみんな、早くコソボから出て行ってくれ」・・・云々。

これらにはすべて色んな含意がある。痛いところを突いていることも多いので、自問自答を繰り返す。やることリスト (できたらよいことリスト)にある貧困削減とか、経済発展とか、民間セクター開発とか、草の根民族和解とか、環境対策とか、 現地政府の能力構築とか、医療システム再構築とか、高等教育支援とか、個々のお題目をみればどれもなんとなく、響きは良い。でも、 一歩視点を引いて、「いつそれをやるべきか」「だれがやるべきか」「この人(この政府)がやることが正統か」「だれの立場から見て正統か、 その立場の主張は皆に受け入れられうるものか」と問うていくと、いつも同じ壁に突き当たる。

どんな仕事もその正しさ・有効さの議論は(目的の設定、方法論の選択、成果の評価基準、いずれについても)、いろんな前提条件(信条、 価値体系)を是としてはじめて成り立つ・・・というのは当たり前なのだけれど、その前提が関係者間で共有されている度合いが、 今回はこれまで経験したどの状況よりもきっと低い。あるいは、これまでは自分がたまたま所属する国/社会/組織の価値観、 教え込まれた職業倫理/学問的規範を無批判に受け入れて、更なる問いに目をつぶっていてもさほど差し支えない立場にいられた、 ということなのかもしれない。

自分のしていることの正しさについてそれなりに個人的に確信が持てないとパフォーマンスが出ないので、この状況で何が正しいか、 自分の考えを再構築するのに結構な時間を要したと思う。そんなことは本当は仕事を始める前に済ませておくべきなのだが、 今回はきっと行ってみないと本当のところは分からないだろう、という予感があったし、その予感は当たってもいた。また、 そういう挑戦を自分に与えてみたかったからこそ来たのだ、というのも本音のところ。慣れ親しんだ信条から一時的に幽体離脱して、 価値体系を超越してみないことには答えが見出せない問いに溢れたこの世の中では、こんな経験は自分にとって長い目で見れば貴重な勉強になる・ ・・という前提を(無批判に)受け入れつつ、自分のための整理も兼ねて、以下にちょっと状況を整理してみる。

<独立>

kosova_passport

コソボは今年の2月17日に独立を果たした。いや、正確には、セルビアの一部だったコソボ・ メトヒヤ自治州が一方的にセルビアに独立を宣言した。日本、アメリカ、欧州主要国を含む43カ国が今日現在、独立を承認している。 国連加盟国のうち、残る150カ国程は反対もしくは様子見 - セルビアはもちろん、 国内に独立問題を抱えて国際社会で前例を作りたくないスペイン、キプロスやルーマニア、その背後で欧州拡大を警戒するロシア、 それに同調する中国も猛反対して、アフリカや南米の国々に独立承認をしないよう外交的な働きかけを続けている。 独立宣言以前には国連の安全保障理事会での解決も図られたが、拒否権を持つロシアの同意を得られず頓挫。なので、反対側から見ると、 コソボ独立は国際法上「違法」ということになっている。

コソボ独立に向けた動きを、そもそも1999年にNATOが介入した時から主導してきたのはアメリカ。 独立反対側からするとNATOの介入自体違法なのだけれど、当時のコソボ内の状況からして、安保理がなんといおうと黙認してはいかん、 というのがアメリカや欧州主要国の見方。もちろん、単に人道的見地とか地域の安定というだけではなくて、 双方ともにいろんな目的があってのこと。

ちなみに・・・ロシアはそれまでアメリカのイランへの姿勢 (核問題による経済制裁)をみて遠慮していたイランとの石油ガス開発に関する協力関係を、コソボ独立宣言の2日後に締結に踏み切っている。 そこで生み出される富の一部は、ついこないだ現地で見てきた通り(ヒズボラ記事) 、イランからレバノンのヒズボラに流れて、対イスラエル・アメリカの戦いに使われることになる。

<歴史>

LocationKosova

さて、コソボは岐阜県くらいの国土に、200万人強が暮らしている小さな山岳地帯に過ぎない。 その独立がなんでこんなに大事かといえば、ご承知のとおり、ユーゴスラビア時代に急激に悪化した、 アルバニア系コソボ人とセルビア系コソボ人の根深い対立が背景にある。どちらが先に住みついたとか、 民族の聖地だとかはお互いの立場から諸説ある。もっと直近の、90年代後半のコソボ戦争にどっちがどっちを何人虐殺したとか、 どっちが先にケンカを売ったかとかも、やっぱり見方がいろいろあってすっきり決着つけるのは難しい。

とはいえ・・・おそらく間違いがないのは、 対立の決定的な発端はユーゴスラビアのミロシェビッチ大統領がセルビア人の民族主義を政治の道具に使い、コソボに限らずユーゴ中で、 セルビア人以外を公式に迫害していたこと。世界のどの国も民族運動に起因する分離独立は抑えたい中、欧米がコソボの独立だけは例外として (たとえ国際法上「違法」でも)支援するのは、煎じ詰めれば「セルビア政府はセルビア人以外の自国市民の人権侵害という過ちを犯した」 という歴史認識による。

でもでも・・・ミロシェビッチの政策は、 最初からナチスのホロコーストみたいなおぞましい民族浄化だった訳ではない。世界貿易体制から孤立させられユーゴ全体の経済が悪化する中で、 セルビア人同胞の支持を得るために公共セクターや国営企業の雇用からアルバニア系を全部締め出してセルビア人の雇用を保護するといった、 もっぱら経済的な措置だった(だからといって良い訳では断じてないが)。 アルバニア系は独自に農村開発したり自治体制を組んだりしてなんとか凌ぎ、ミロシェビッチのセルビア民族主義に非暴力で立ち向かう、 というのが当時のアルバニア系リーダーの方針だった。KLA(コソボ解放軍:独立を目指した過激派武装勢力)は実質押さえ込まれていた。

そうこうするうちにユーゴの各共和国は内戦を経て次々に独立し、 1995年のデイトン和平合意の際も、ボスニア戦争が終結しただけで、無血の抵抗を続けていたコソボは全く顧みられることがなかった。 KLAはアルバニア系住民の間でそんな不満が高まるのを好機と捉え、国際社会の介入を招くために敢えてセルビア系勢力を刺激し、 アルバニア系に対する虐殺を積極的に誘引したといわれる。ちょうどその頃、隣で鎖国していたアルバニア本土が経済崩壊して無法状態になり、 武器や資金が国境を越えてKLAに大量流入したのも追い風になって、コソボは一気に内戦に突入した。 アルバニアマフィアといえばヨーロッパ全土に流通するヘロインの市場シェア7-8割という大手(?)で、 KLAは組織ぐるみで犯罪行為に手を染めていた。アメリカは当初、KLAをアルカイダとかヒズボラと同様テロ組織として非難していたが、 NATOの介入を決めた1999年には、KLAはアメリカのテロ組織リストから消え、 将来の独立後に国の再建を担うパートナーという位置づけになっていた。そして、コソボのハシム・サチ現首相はこのKLAの首班だった訳で・・ ・この方の「!?」な話は、日本語wikiにもちょっと記述がある位、 公知なのだが、アルバニア系コソボ人にとってはセルビアと戦った英雄なのだ。

ちなみに、国際世論の注目を得るために血が使われてしまう、という、 リーダーシップ授業(修羅場の記事) で扱った東チモールとか天安門事件の話とまったく同じ危機演出のパターンはコソボにも当てはまる。また、 一見するとAとBの対立に見えるものが、実のところA穏健派・A強硬派・B穏健派・B強硬派の4つ巴の争いであり、 AB穏健派が境界を越えたパートナーシップの確立に失敗することでAB強硬派がともに台頭し、危機に至る、という、 天安門事件パターンも然り。

<現在>

本筋に戻ると、結局NATOがセルビア全土を空爆し、ミロシェビッチは戦う相手を間違えたことを思い知り、 セルビアはやむなく撤退してコソボの自治を認めます、ということになる。2000年当時、 コソボにたくさん住んでいた普通のセルビア系民間人が難民になって大挙してセルビアに流れていくのを、親兄弟、 同胞をセルビア系にやられた怒りと憎しみに燃えるアルバニア系住民が黙って見過ごすはずがない。アルバニア系住民の手には、 KLAが持ち込んだ武器が行き渡っている・・・もうひとつの悲劇の始まりだった(ちなみに現在でも、 人口200万人のコソボに50-60万の拳銃や小型自動小銃が残っているのだとか)。

今、コソボの人口の90%弱はアルバニア系で、8%くらいのセルビア系はその時に逃げ遅れて生き延びた、 あるいは色んな事情で自宅を離れられなかった人達だ(ほかにボスニア人、ムスリム人、ロマなどの少数民族もいる)。彼らはコソボ全土に散らばり、 セルビア人同士で固まって小さな村をつくり、過去10年近く報復に怯えながら暮らしてきた。 放っておくとすぐアルバニア人系による襲撃とか放火とかが起きるので、村の周りはNATO軍が警備している。 となりのセルビア系の村に行くにも、途中でアルバニア系区域を必ず通るので、これまたNATO軍についてきてもらわないといけない。

そんな折に、先の独立宣言である。もちろんアルバニア系住民は長年の悲願が叶って大喜びだけれど、 セルビア系住民はたまったものではない。昨日までは、セルビアの片隅の自治区で、 少数民族のアルバニア人に取り囲まれて肩身が狭い多数派だったのに、一夜にして、 多数派で敵対的なアルバニア人系住民に囲まれる少数民族へと立場は逆転した。セルビアがコソボの独立を認められないのは、 民族の聖地が云々というのも勿論あろうが、 より現実的には難民としてコソボから流れてきた自国民の親兄弟子供がまだ10数万人もコソボに残されて、 日々危険に晒されていると思うからに他ならない。

もちろん、セルビア国内に聖地奪回を主張する強硬派・ 民族主義者がまだまだいるのも事実。先の3月、コソボ独立の1ヶ月後にはじめてコソボを訪問した際、 セルビアのベオグラードにも行ったけれど、ある穏健派の政治家(ケネディスクールとHBSのJoint programを卒業し、コンサルティング会社Mでパートナーになった大先輩でもある)はこんなことを言っていた:「コソボ独立は認められない。認める素振りを見せようものなら、 即座に強硬派に命を狙われる」・・・。

このセルビアのB強硬派の支持母体は、 社会主義体制のユーゴスラビアが崩壊した際に国有企業での職を失い、将来展望もなくて回顧主義(チトーの頃は良かった)と恨みつらみ (アルバニア人許すまじ)しか残されていない中高年層だ。一方、前向きで合理的思考をする若者には、 そうやってロシアに寄りかかりながらコソボ承認を突っぱねて欧米と対立したままでは、国の未来がないと思っている人も多いのだという。 彼らにとってセルビアの明るい将来は、EU加盟を通じてしか得られない。コソボの独立、発展、 欧州市場への統合をEUが明確に支援している以上、どんなにコソボを失うのがつらくても、現実を受け入れるしかない・・・。 そんなB穏健派と、彼らから見れば「移行の敗者」たるB強硬派とのセルビア政局での対立は、世代間闘争でもあり、 取り戻せない過去の栄光と決別する苦しさの表れでもあり、 敵を外部化して自分の周りを囲うことをもはや拠り所にできない複雑な世界へ身を投じることへのためらいでもある。

そして、セルビア全体がその問いに向き合う国政選挙が5月11日に行われ、 B穏健派が辛うじて勝った。もし、そうなっていなければ、僕はこの夏コソボに来たとは思わない。そして親EUの新政府は、A穏健派たる僕ら (ICO)にとって大切なパートナーと見なければならない。

今でもセルビアでは、 若者の間にさえアルバニア人に対する根強い偏見と反感がある。ベオグラードで会ったあるNGOは、セルビアの中・ 高校生をバスに乗せてコソボまで連れてゆき、アルバニア系住民と触れ合って草の根民族和解をすすめるという活動をしていた。参加者は、 アルバニア人には「牙もないし尻尾も生えていない」ことに驚いて、首尾よく友達になって帰ってくるのだという(笑いそうになるが、 けっこう深刻なことですよね)。そして、親や周り中から聞かされてきたことと世界の現実が違うことにしばらく悩んでから、毎回必ず何人か、 そんな活動の意義と価値を信じて活動に加わってくるのだという。

・・・以上がコソボの歴史と現状の概略で、前回来た時に各方面に話を聞いて回って学んだ話でした。 どっちかというとセルビアからの見え方の比率を高めて、他を割愛した要素が強いのだけれど、 普段はアルバニア系住人と接することのほうが多いので、 つとめて頭の中でカウンターを当てるようにしておかないとすぐにバランスを崩しそうになるのです。

<建国>

さて、ボストンに戻って卒業前の最後の日々を謳歌していた頃。直の上司になるICOの人から一通のメール・・・ 「ドラフト読んどいてね、憲法の。」

メールにはワードの文書が添付されていて、いろんな修正履歴やら「ここ要承認」のコメントやらが残っているものの、 たしかに世界で一番新しい国のかたちがそこにはあった。すべての少数民族を尊重する多民族国家にすること、 法の支配に基づく地方分権が進んだ国にすること、開かれた自由競争市場を築くこと・・・。この憲法は、 僕がコソボに到着する前日の6月15日に発効し、世界で一番若い国はスタートを切った。NATOが介入し、 国連の暫定統治ミッションが政府機能を果たすようになってから8年、(アルバニア系)コソボ人には待ちに待った瞬間だった。とはいえ、 自立できるだけの経済基盤も、難しいご近所さんとの関係をうまくやる外交能力も、なんにもないコソボに与えられた地位は 「Supervised Independence(国際社会の監督下での独立)」ということになっている。国連ミッションは徐々に縮小し、 EU系ミッションが主要な機能を引き継ぎ、現地政府のキャパシティビルディング(能力構築)を行った上で、 EUミッションもなるだけ早く引き揚げる、という手立てになっている。

コソボ建国は壮大な実験だ。戦乱からの物理的な復興でもあり、ユーゴの共産主義から市場競争への経済的な転換でもあり、 国ごとPTSD症状になってるところからの精神的な立ち直りでもある。この同時三重苦に加え、アルバニア人はきわめて伝統的な大家族社会で、 地方の住民は自給農業と海外出稼ぎに出た息子からの送金に頼って生きている。 そんな社会がいきなりグローバル資本主義に晒されるのは大変に酷な話。一方で他の東欧諸国を見てわかるとおり、EUの優遇、経済支援を受け、 欧州市場統合の目標をアンカーにして国内改革を進めていけるというのは他のどの地域の途上国にもない恵まれた立場。 そんなコソボに国際社会が課した試練は、いかに深刻な国内対立があろうと居住地域を分けて単一民族国家を作るのはナシで、多民族国家を作れ、 というもの。ある人は、「前近代から近代を飛び越え、いきなりポストモダン」、と言っていた。 西欧諸国が氏族社会から何百年もかけて歩んできた歴史を、この岐阜県サイズの国が数年で駆け抜けようというのだ。だからこそ、 憲法書きから自治体の運営、ゴミ処理場の民営化に至るまで、国造りについて世界がこれまで学んだ「ベストプラクティス」 を総動員して新しいアプローチを試そうとしている。

そしてその実験的姿勢は、僕が前回コソボに来た時に考えていたことに奇妙にマッチした。

コソボに限らず民族紛争の多くは、(語弊があるがものすごく大雑把に言えば)外部要因を通じて経済がまずだめになり、 それに反応して国内政治が人工的な対立を作り、内戦を通じて人の心が痛む。直るときは逆で、人の心が癒え、民主的過程で政治が正され、 経済も生き返る・・・といけばよいのだが、壊れたものはそう簡単に直らない。生活が苦しいうちは草の根和解どころではないし、 税収が入らないと政府が公共投資もできないし、それならということで入ってくる国際援助資金は腐敗した誰かのポケットに消えていく。 貧困とフラストレーションが民族間の緊張に火を注ぎ、内戦に逆戻りしてしまう。キーレバーが経済なのは間違いない。けれど、 過去との決別や多民族社会の構築と、経済発展とがお互いうまく作用しながら進むためには、何がどう起きるべきなのだろう。  3年の留学でもっとも影響を受けた2つの授業、ハイフェッツ教授/ウィリアムズ教授の「適応的課題」(長い記事) の世界観と、マイケル・ポーター教授の「競争力のミクロ経済」(さらに長い記事) のアプローチとが交差するところ。コソボが向き合おうとしている挑戦は、そのど真ん中を突いていた。

EUミッションの経済担当部門とのミーティングで、やけに思考が共鳴した。今の上司とものの5分間ほど話すうちに、 予感が確信に変わる。「じゃあ、夏に一緒にやるか」という話になった。

*  *  *

前置きが長くなりすぎたので、続きはまた今度に。しかし、昔の長い記事を見返して思いましたが、ここ1年くらい、 書き物が長くなりすぎる傾向がありますね・・・。

(それでも余談) 留学中のアカデミック方面への寄り道・ 国際機関勤務の経験はともに大変ためになったものの、それに伴う書き物の網羅志向・テクニカルターム濫用への感度低下・ だらだら書き連ねる癖は要注意だと、書いていてはたと気がつきました。M社復職の前に、(アルバニア史観とセルビア史観もさることながら) レポート文化とチャート文化の間を意図的に適切に往来できるようになる必要がありそうです。

(更に) 冒頭で、「ICOのMitroで経済開発を担当してますというと、 その一言で目を丸くされる」と書きました。そこで返ってくる反応には相手の方の、今のコソボの状況に対する捉え方とか、組織上の立場とか、 個人的な考え方とか、日本人像まで現れることが多くて、僕は初対面で自己紹介をする度に反応ポイントが楽しみなくらいです。 その話をしようとして、ミトロヴィッツァという街がどんなところか、ICOが何者か触れるつもりだったのに、 前置きの前置きで終わってしまった。うーん。

うーん、ということで往生際悪く、ちょっと頭だしをすると、ミトロヴィッツァは・・・ちょっとぐぐってみると、 やっぱり嫌な感じの見出しがざくざく出てきますね。今も大変難しい状況であります。でも、僕のいる近辺は安全で、 橋の向こう側には行かないようにしています。ここで正しいこととは果たして何だろう、というのが、 引き続き書きながら自分で整理しようとしている点です。続きはまた、近日中に。

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コメント


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卒業のあとコンペさんどうするのだろうと思っていたら、、、すごいことになってますね。
本当にM社に復職するんですか?は、さておき、本当にいつもコンペさんからは刺激を受けまくりです。
ご無事を!

Hiroki Onuki | URL | 2008-07-17(Thu)01:37 [編集]


おう久しぶり。すごいことになってるというか、きわめて貴重な体験させてもらってるなあと思います。
ふ、復職しますよM社に。やりたいこと・やれると思っていることいっぱいあります。そんな話もまたぜひ日本で。

konpe | URL | 2008-07-21(Mon)06:31 [編集]


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