konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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旅の終わりと始まり

中東からボストンに無事戻りました。一部の皆様、ご心配をおかけしまして、すみません。

そして戻った矢先にベイルート郊外で自爆未遂? のニュースが・・・ひゃー、これ僕らが1週間前にいた難民キャンプじゃんか。 ボストンには交差点にいちいち銃をもった兵隊さんがいないとか、道にチェックポイントがないとか、駐車場に戦車とか止まってないとか、 そういう当たり前に平和な様が、なんとなく新鮮に感じられます。

2週間をつうじて改めて痛感したのは、これまでの自分の軍事とか安全保障みたいなトピックについての感度の低さ。 そういう話題は自分の仕事と直接は何の関係もないし、積極的に関わりたくもないし、そもそも日本って(良くも悪くも) アメリカに守ってもらってるおかげで考えずに済んできたのだし、そっちへの気配りを止めて国の資源の大半(金銭的、人命的負担だけじゃなく、 アテンション、創意工夫)を経済活動に振り向けてこれたからこそ今の日本があるのだし・・・と思っていた。 その世界観は大筋のところ今も変わっていない。が、課題の所在と構造その規模感なり難しさ、 および事態の展開次第での自分の分野への波及効果、みたいなことは一般常識レベルで知っておくべきなのに、 自分にとっては思考の空白地帯になっている、という気付きがあった。

今回の企画に参加した40名は、企画の趣旨上、紛争解決、平和構築、イスラム政治、等々のエキスパートが多い。 軍とかFBIとか人道支援機関出身者に加えて、ユダヤ系で自分のルーツを問い直しに来た人、 中東ビジネスにキャリアをコミットしようとしてる人など諸々。参加者の中であきらかにいちばん無知でナイーブな自分は、 あたらしい友達から学ぶところも非常に大きかった。

道中での頻出トピックの1つは、アメリカおよびイスラエルは本当にイランに戦争を仕掛けるのか? という話。戦争なんて 「あってはならない」という思想で育った自分は、「核開発を進めている(ことになっている) イランに軍事的オプションも含めてどう対処すべきか」みたいな政策分析は心理的に最も遠いのだけれど、 安全保障系の授業を取ってきた人たちにとっての対イランは、サマーズの授業でのWTO交渉とかポーターの授業でのケース議論と同じくらい、 当たり前のエクササイズのよう。

レバノンで最初にあった政治家が、「アメリカが選挙・政権交代の前にイランの核施設を攻撃すると想定して・・」 みたいな話をはじめた時は、このおっさん何言ってるんだろ、くらいに思っていた。僕よりは思考の材料がずっと多い他の参加者たちも、 現状のイラクでの失敗と想定されるイスラエルへの致命的報復を考えると、アメリカのイランでの軍事行動は合理的なオプションではない、 という姿勢で議論していたと思う。が、レバノン・シリアを含め、会う人会う人が年内の戦争の可能性について本気で言及するのを聞くにつれ、 だんだん心配になる。そして、先週金曜にレバノン現地紙にこんな記事。 ブッシュの最後っ屁でパレスチナ和平交渉から軍事路線に軸足を移し、アメリカの支援を受けたイスラエルがイランを攻撃し、 レバノンのヒズボラ、ガザ地区のハマス、シリアの3方からイスラエルに何千発のミサイルが降り、、みたいな、 あんまり想像したくない事態を警告している。これを書いているJoschka Fischer氏は1998-2005年にドイツの外務大臣を務めていて、軽薄な陰謀説を書くような人ではない。 イランに外交的な対応を迫るキャンペーンの一環なのかもしれないが、それにしても穏やかではない。石油価格はどうなるんだろう、 イランと連動する北朝鮮はどう反応するんだろう・ ・・。

さて、そんなことを考えながら訪れたヒズボラ本部。

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どどーん。ヒズボラ勢力地域には、この黄色い旗がたくさんはためいているのですぐわかる。

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カナという南部の小さな町。ここは、聖書(ヨハネによる福音書)によればイエス・ キリストが最初の奇跡を行って水をワインに変えた場所とされている。1996年のイスラエルによる怒りの葡萄作戦、 2006年のレバノン空爆で、ともに民間人が甚大な被害を被った場所でもある。写真のおばあちゃんは息子と孫を空爆でみんな失った。

ヒズボラ(ハマスもそうだけど)は元々はテロ組織でもなんでもない。政府がまともに機能せず、貧困地域 (レバノン南部のシーア派居住地域)での社会インフラ整備も何もできていなかったので、かわりに自己組織化して学校やら病院やら作ってきた。 加えて軍も頼りないので、イスラエルとの国境にいちばん近いこの地域住民が独自に武装化するレジスタンス活動として始まり、 戦没者の家族に補償を出したりもしている。武器やお金の出所はもちろんイラン。

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2006年には他にも町がたくさん破壊されたので、ヒズボラが再建プロジェクトをやっている。工事現場を皆で見学。

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国境付近の要塞(?)にて。この先がイスラエル、あの山がゴラン高原・・・。

犠牲者の遺族、南部がイスラエルの支配下にあった時の捕虜の生き残り、等々と話してみると、皆一様にイスラエルへの憎しみを口にする。 目の前にある脅威と家族同朋を失い続ける痛みに直面してきた彼らは、和解、停戦に向けた対話をほぼ否定し、殉死を英雄視し、 徹底抗戦をよびかける。10年前、ヒズボラの指導者のハッサン・ナスララは息子を前線で失った際、 「殉職者の家族の仲間入りができたことを心から誇りに思う」旨の演説をし、支持が急速に高まった。 特に2006年にイスラエルの猛攻に抗してからは、シーア派の組織でありながらレバノンの他の勢力にありがちな宗教・宗派・ 地域に閉じた一派とは一線を画した超党派・対イスラエルのレジスタンスとして、国内、他国のイスラム世界から広く支持されるようになる (参考: 「勝利演説」邦訳)。

ヒズボラが独自の(政府軍よりはるかに強力な)軍事力を持ち、 政府とは独立してイスラエルとの戦闘について意志決定を握っている様はたしかに危険だが、 そんな勢力の誕生を許してしまったのが政府の機能不全であることも事実。国連安保理決議1701に沿ってヒズボラをいかに非武装化 (あるいは政府軍に統合)するかが、目下、レバノンの問題解決に取り組む国際社会のターゲット。だが、僕らがベイルートに到着する一週間前、 そんな努力の一環として政府がとった措置(ヒズボラ独自の通信網の禁止など)を受けてヒズボラはすみやかにベイルートの政府施設を制圧し、 現実的には国内の誰もヒズボラを抑え込むことができないことを誇示することになる。次いでドーハでの会合を経て、 ヒズボラ含む野党勢力が閣僚ポストの1/3以上を占めて政府意思決定に拒否権を持つ形に落ち着き、 今やヒズボラは政治の表舞台でも最も有力な政党になった。

ヒズボラのDirector of International Relationsなる人物と、これまた3時間超の討議。 イスラエル・アメリカとイラン(及びヒズボラ含む周辺勢力)との戦争の可能性について、ずいぶん突っ込んだ議論もする。以下は (ずいぶん聞き取りにくいのだが)その一部:

きわめて頑なな姿勢がよくわかる。そんな戦争は破滅的だし望んでもいないがイスラエルは交渉できる相手ではない、 抑止力のために軍備増強しており一日たりとも無駄にできない、等々。もちろん参加者一同、 どうしたら戦争回避できるかという立場でいろんな立論を試みる。今回の企画主催者のレバノン人2人(スンニ派およびキリスト教)は、 自分の国のことなのでもう必死で訴える。「今やレバノンで一番有力な政治勢力になったあなた方には、 シーア派の宗教思想やレジスタンスのレトリックを振り回すだけじゃなく、国全体が長い目でどうなるべきかを考える責任がある。 あなた方の言葉と行動は、和平を望む人達や国際社会の目にはどう映るのか」・・・

参加者の中には(僕がコソボに行っていた)春休みに同様の趣旨でイスラエルを1週間訪問した者、ユダヤ系アメリカ人もいて、 「向こう側の世界観」とそのジレンマも痛いほど分かっている。ホロコーストを経て悲願の建国を果たしたと思ったら周り中から敵視され、 衝突がエスカレートしてこんな有様になった。イスラエル国内も和平派と強硬派で分かれ、 和平交渉に歴史上最も貢献したラビン首相はけっきょく暗殺された。一方のパレスチナやヒズボラは 「ドイツ人が犯した罪の代償をなぜ我々が払わないといけないのか」の世界観で、イスラエル承認などもっての他。

今回の訪問ではシリア大統領やヒズボラ、ジャアジャアに限らず、シニオラ首相、ハリリ、ジャマイエル、ジュンブラット、 それはもうあらゆる立場の指導者に会った。程度の差はあれ共通しているのは、対立勢力の歴史観に耳を閉ざし、 現状の問題を自分のコントロールできない外部勢力に責任転嫁し、自らの行動可能性について悲観的になるか、 そうでなければ過去の痛みを自ら増幅し、「敵」を徹底的にdehumanizeし、殉死を尊び人々を戦いに向かわせるか、 いずれにしても誰もが現実への適応を拒み、高次の目的に向けた建設的な行動が取れない様。血縁・氏族・ 宗派を中心にした自己防衛や過去に拘泥しての外敵への反抗が、 冷静な現状把握の視座を阻害する不適応なアイデンティティの一部になってしまっている。もっとも、非難するのは簡単だが、 背中に包丁を突き付けられた人に和解だの人間性だの言うのが空しいのも事実。

旅の目的はあくまで学びであって問題解決への貢献ではなかったが、 現状の困難さと危機について一般のレバノン人よりはるかに包括的な視座を持つことができた参加者たちは勢い、 後半の面談の機会にはなんとか建設的な介入や影響力の行使を望むようになる。 皆が学校で学んできたことは観察や提言には確かに役にたったかもしれないが、介入を通じて痛感する対話の難しさもまた格別だ。 多くの参加者にとって旅を終えて残ったのは、学びの充足感というよりは危機感と、ちょっとした無力感・徒労感、 積み残しの学びに対するドライブ、等々だったのではないか。

*  *  *

自分にとっては今回の旅は、遠い世界の出来事と日本および自分との関連を見つける上でとくに有意義だった。 たとえばヒズボラのレトリックからは大戦中の日本のメンタリティに強烈に通じるものを感じた。 生存者や殉死志願者の語る世界観については共通しながらも、 ここで起きていることと戦後の日本が心理的に過去を清算して前向きになれたこととの決定的な違いは何か? あるアメリカ人の友人は、 「それは日本が徹底的に敗北したからだ」と言う。確かにそうなのかもしれない。その経験が、 アメリカの軍事オプションを決して外さない対外政策の中核にあるのかもしれない。また、イスラエル・パレスチナ間、ドイツ・イスラエル間、 レバノン・シリア間、レバノン国内諸対立、どれをとっても歴史観の再構築、謝罪と建設的な対話、補完と協業可能性といった、 日本とアジアが抱えてきたのと同じ課題が異なるステージで経験されているように見える。 今回の旅行を通じて仲良くなった韓国人友人との会話の背後には、常にこのテーマが流れていた。

また、より広い視点からは、(中東・レバノンにしてもバルカン半島・コソボにしても)一見すると小国を舞台にした局地的な紛争は、 アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イラン、ロシア、中国、インドなど諸大国が、外交面、経済面、 軍事面のいろんなカードを世界のあちこちで切りながら、単独行動を取ったり一部相手を連立に引き込んだり、 はたまた国連やら世銀やらWTOやら国際社会を代弁する機関を使ったりしながら、 各々それなりに戦略的に行動している大きなゲームの一部が表出している経緯にすぎない、という見方が、 けっこう具体的な実例をもって腑に落ちるようになった。複雑系の中で皆、あっちにハリケーンを起こすためにこっちで蝶を羽ばたかせたり、 そっちで温暖化対策について妥協を引き出したいからこっちで軍隊を引き揚げたり、 選挙民に自国の短期利益を訴えないといけない一方で時には本気で世界の将来を案じたり、色々考えているに違いないのだ。これは、 この国は僕らに友好的でないから人道支援を減らそうとか、あの国は経済的にメリットがあるからもっと付き合おうといった、二国間・ 線形思考の外交とはまったく次元が違う。日本の外交が後者にとどまっているなどと指摘できるほど、 自分は世の中を知っている訳ではないけれど、少なくとも日本で目に触れやすい媒体情報だけで、日本が世界にどう対峙しているか・ しうるかについて的確な見立てをすることが難しいことは、よく分かったつもりになれた。

そして、自分が学んできたこと、中長期的にやりたいと思っていること、短期的に着手可能なこと、 各々の関係をちょっとはすっきりさせる手助けにもなった。中東で何が起きているかは引き続き見続けるとは思うけれど、 ここで必要な問題解決は自分が何か建設的なことができる領域とは程遠い。一方で、 同じ問題がすこし違った段階に移ると自分の守備範囲に入ることもあり、コソボがその好例だと思っている。詳細はまた今度書くとして、 頭出しだけしておくと僕の次の目的地は(また)コソボです。独立の経緯では外のいろんな思惑があったかもしれないにせよ、 今のコソボは自分たちで経済発展と民族和解を並行させてじっくり取り組む段階に来ている。春にいろんな国際ミッションや現地政府を訪問して、 「こういうお手伝いならできます」と言ってみたことが実を結び、夏の間はコソボで仕事をする予定。そして、 10月から東京のM社に復職します。

3年で学んだことを何に使い、その上に何を築くか、時に発散しながら先を思い描くことと、 今の自分の力でできることとの間には巨大なギャップがある。そして、先を思い描く内容は、 もともと持っていた目的意識がいろんなショック要因に叩かれて次々に複雑怪奇に変容した結果、どんどん遠くに逃げてゆく感じもする。 なんの蓄えもなく乗り出した3年の留学は、幸い、フルブライト・世銀の奨学金・M社東京オフィスのサポート、 の3つの組み合わせで可能になった。これは、卒業後に借金を返すに足る職探しをしないといけない多くの友人と比べ、 学びに集中しつつ興味を発散させる各段の自由度を与えてくれたのと同時に、僕に道義的責任を自覚させる錨の役目を果たしている。 抽象度の高いレベルでは、日米発の草の根平和・貧困削減と持続可能な開発・日本の産業競争力、の3つの円が交わるところでどう働くか、 ということになるけれども、そんな大上段を眺めていてもなかなか始まらない。 中東和平や日本のロボットやリーダーシップ教育はきっと見えにくいところでつながっているのだけれど、まずは動けるところに行ってみて、 走りながら考える・・・。次は何が見えてくるのやら。

いよいよ、卒業まであと3日。

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コメント


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ほんとに貴重な生き方してるね。
いつかきみが七夕の短冊に書いた「世界平和」を思い出したよ。 ^^)

ま~ | URL | 2008-06-05(Thu)00:32 [編集]


そうかー、そんなこと書いたっけか。でも、どうやらお祈りだけしても叶いそうにない様子。

konpe | URL | 2008-06-10(Tue)14:43 [編集]


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