konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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グローバリゼーションとロボット

突然だが、自分はロボット好きである。一連のロボット記事にあるとおり一時は活発にいろいろやっていたし、 このブログのトップの右上にロボットがいるのも、ケネディスクールに行くようになってからもタイトルが「MIT Life」のままなのも、 それなりの思い入れがあるからなのだ。

日本の自動車とか家電の世界で培われてきた、センサ・アクチュエータ、メカトロ・組み込みシステム、小型・軽量・省エネ、安心・安全、 といった諸々の技術および技術思想、また作り込み・すり合わせの組織能力は、いまだに世界最強の製造装置、産業ロボットや一部産業素材 (カーボンファイバーとか)と結びついて将来かならず民生ロボットで花開くとおもっている。 人が人型の人工物を創造することが宗教的抵抗感や怖れに結びつく欧米と違って、鉄人28号、アトム、ドラえもん、 コロ助で育った日本人は心の準備(というか開発者の熱意)があって、出発点から優位に立っている。韓国、台湾も最近はがんばっているが、 少子高齢の課題先進国の日本は、(幸か不幸か)介護・家事の国内先行需要では絶対に負けない。 経産省にロボット課長さんがいらっしゃるくらいで、産官学コラボにも余念がない。こんなダイヤモンドの諸条件が揃ったからにはポーター御大のクラスター論の出番!  というか、既に日本中(大阪 名古屋 福岡など)にロボットクラスター形成の努力は見られる。

・・・のだが、最近どうも雲行きがあやしい。いや日本のロボット産業が、ではなくて僕のロボット産業応援気分がである。 日本の製造業とイノベーション、という留学開始当初の問題意識が、より広くて複雑な背景のなかに位置づけなおしてずいぶん変わってきた、 というのは前のヨコの振り返り記事に書いたとおり。 それはそれとしてロボットは追い続けるだろうと思っていたのが、容赦なく世界観の変容を迫る学びの波が、 とうとうその足場を洗うところまで来てしまったのだろうか・・・。以下、サマーズ教授とプリチェット教授の漫才授業「グローバリゼーション」 より。

この授業は、すでに去年までに取った国際金融マクロ、貿易の政治経済、国際関係、グローバルガバナンス、とかいった、 ヨコの広がりの総括のつもりで取っていた。最初のうちは講義はやや基本的と思うときもあったが、中盤から気合が入ってくる。 この授業で好きなのは以下の点:

・ 元財務長官・前ハーバード学長のローレンス・サマーズ。家系にノーベル経済学賞受賞者が2人(Paul Samuelson、 Kennethe Arrow)いて、両親も経済学者。親は少年Larryとその兄弟に経済のしくみを教えようと、 テレビのチャンネル争いにオークションを導入したのだとか。16歳でMITに入り、史上最年少の28歳でハーバードのテニュアを取った鬼才。

Wikiには「尊大な性格」「無節操なパワープレーヤー」「教授・学生などとの対立に直面」・・・と散々な書かれ方をしているが、 さすがに目線は高い御仁。これまでケネディで取った経済とか貿易を扱った授業が「世界がどんなしくみで動いているか理解する」 「今の制度や前例がこのケースにどう当てはまるか考える」という力点の置き方だったのに対して、サマーズは重要論点について必ず 「そもそもどういう制度設計をすべきか」「世界経済をどう運営すべきか」という問いかけをする。 そしてその背後にある根源的な価値のトレードオフの難しさ(国家主権、市場統合、地球公共財の"impossible trinity") について思考を促そうとする。

・ プリチェット教授は、サマーズが世銀のチーフエコノミストをやっていた頃にMITから採用した気鋭のエコノミストで、 依頼ずっと相棒ということのよう。アカデミアと政策実務の両方に通じて、理論の根本のところと具体例とを取り混ぜた教え方も秀逸。 2人の教授が交代で講義を受け持つスタイルで、講義していない教授は(学生の質問に乗じて)えらく本質的な質問を投げかける。 教授同士の大議論に発展することも多々あり、これは素人学生としてはついていくのが大変ではあるが、 経済学のフロンティアで行われている議論が垣間見えて刺激的。

・ 200人位の受講者が大教室で講義をうけるマスプロ授業だが、受講生は20人づつ位のセッションに分かれて別途毎週集まる。 セッション毎につくTAはケネディスクールのMPA/IDプログラムというところの学生で、 博士課程前半レベルの経済を必修で一通りやった猛者が揃っている。セッション内で小グループに更に分かれ、 2週間ごとにケースと関連資料を300ページ程読んでポリシーメモを各自準備して貿易交渉とか、けっこう濃密な演習をやる (もちろん講義にも100ページ単位の読み物があるので結構大変)。加えて教授は「受講生全員とすくなくとも1回はランチする」とコミット。 大人数の講義と個別インタラクションの質のバランスがうまくとれている。

・ ケネディスクールと経済学部の共同開講で、受講者の半分くらいは学部生。 計量モデルとか細かいところに入らずに広く政策決定上の論点や主要アクターへの意味合いをカバーすることが目的で、 とくに基礎的な経済の履修を前提としているわけでもない。僕はたまたま去年関連分野を沢山やったが、 本当に初めてという学部生も結構いる模様。でも質問などを聞く限り、相当勉強している。 自分が10年前にこういう授業を取れていたら世界の見方や仕事への取り組み方がいくぶん変わっていたかもしれない、と思うし、 ハーバードの学部生にとってのこの恵まれた環境というのは大変羨ましい。

以下、いくつか目新しかったことを、ヨコ振り返りの続きで書いてみる。

(6)グローバル歴史観の嘘とほんと

グローバリゼーションがごく最近(ここ10年とかで)始まって未曾有のスピードで進行している、という、時折見かける論調は、 ある見方をすればナイーブ。すくなくとも経済的には、グローバリゼーションの意味は市場(財・サービス市場、資本市場、労働市場) の地球規模での統合化つまり取引障壁の削減・市場の歪みの矯正だ。どれくらいグローバリゼーションが進んでいるか、は、 たとえば財市場では世界のGDPに占める輸出入の額の割合とか、資本市場ではGDPに対する海外からの累積投資の比率とかをみればわかる。 これらの数字は、計り方にもよるが実はつい最近まで100年前とそんなに変わらなかった。もっとも、 サービス市場は100年前よりずっとグローバル(輸出入できるサービスの市場規模自体が100年前は僅少だった)とか、 資本市場についても工場設備など直接投資はともかく、証券などポートフォリオ投資はこれまた100年前と質的に違う、ということもあり、 ひっくるめて単純に時代間比較はできない。ただ間違いなく言えるのは、労働市場については(諸国の人口に占める移民・ 外国人労働者の比率などでみると)100年前のほうがはるかにグローバリゼーションが進んでいた、ということ。

テクノロジーの進歩こそが今日のグローバリゼーションを牽引している、というのも一見正しいようで実は浅はかな見方。歴史を見れば、 航海技術・運河・鉄道のイノベーションで「発明」 されたグローバリゼーションは100年前の黄金期まで急速に進行して世界の経済パフォーマンスを順調に向上させたのち、貿易障壁の「発明」、 経済のブロック化、2度の大戦を経て大きく後退した(というよりグローバリゼーションの後退が大戦の原因を作ったというべきか)。 大戦直後から現在に至るまで、GATT/WTOという「大発明」と通信など更なる技術革新を通じて国際取引が増え、 上記のような指標は回復している。が、国境を越えた取引が容易になる一方で、国境そのものは増えるばかり (第二次世界大戦直後には50程だった主権国家の数が、今は200程)。技術革新で誕生・加速し、 国際政治の要因で後退したグローバリゼーションは、障壁を下げる政策イノベーションで息を吹き返してきたが、 最近の国際政治はまた後退の方向? (WTOドーハラウンドの停滞、地域単位のFTAの"Spagetti Bowl"化、 アメリカ大統領選でのアンチ貿易議論・・・)という世界観。テクノロジーでグローバリゼーションの理論限界は増すのだけれど、 運用上の装置限界を決めるのは国際政治と経済政策。今日の世界の現実をふまえれば、 前者の技術革新よりも後者を首尾よく運営することのほうが経済パフォーマンスへの感度は高い。

もちろん、こういう議論はあくまでマクロっぽい経済学者の視点からで、ミクロに見ればテクノロジー(通信・金融) の進歩が個別の経済主体の振る舞いにもたらした変化は甚大だし、 貿易障壁その他規制の解消も合わさってこれまで存在しなかった類の業種や企業形態を生み出し、地球規模での協業・競争の形態を変容させ、 ローカルでの知識創出と富の創出を加速してもいる。

そんなダイナミズムをどう国の経済発展に向けた戦略に織り込むか、 という話はケネディスクールとビジネススクールを隔てる冷たいチャールズ川(政策実務のmissing link)であり、 そこに橋をかけようというのがポーター御大の”Microeconomics of Competitiveness” (こっちゃんのとこに最終回サマリ) だったともいえる。ここから、前回記事にある知財保護とかGMOの話みたいに「多国籍企業、 NGOあるいはテロリストネットワークなど非国家主体(non-state actor) が政府や国際機構の振る舞いに大きく影響する無視できないフォースになった、コンストラクティビズム云々・・・」 という話に振れば川のこちら側(ケネディ)の国際関係論に戻るし、個別企業がグローバルサプライチェーンをどう組むか、 エマージングマーケットにどう投資するか、はたまたCSRとかSRIとかサステイナビリティ云々、といえばまた川を渡った先 (ビジネススクール)のトピックになる。

(7)グローバル労働市場観

さて、制度的には混迷してきたグローバリゼーションを評してのプリチェット教授の持論のひとつは、「世界経済を進歩させる (開発インパクトがいちばん高い)のは労働市場の自由化だ! 多国間・永住帰化では無理があるので、 各国が2国間交渉でできるところからテンポラリな人の移動を進めるべし」というもの。もちろん政治的、社会的にとても大変なのだが、 その大変さの根底にある、先進国側の(あまり直面したくない)道義的理由とその打開策を、著作(Let Their People Come)のイントロで簡潔にまとめている。 突飛でコントラバーシャルな主張を敢えてしているようなところもあるが、個人的には「うむう、なるほど」と唸ってしまった。 開発関連にご興味のある向きは是非ご一読を。

彼の主張の根底にあるのは諸々の開発施策についての次のような費用対効果分析だ。たとえば、ほんとに困った途上国(HIPC: heavily indebted poor countries、重債務貧困国)の借金を免除してあげよう、 という世銀とIMFの政策がある。これを発動するにもけっこうすったもんだあるが、途上国の貯蓄・ 投資に与えてきた効果はというと30億ドル程。一方、止まったままのドーハラウンドで提案されている先進国側の市場開放がもしまとまったら、 途上国にもたらされる経済的便益は860億ドル。また、もし仮に先進国が農産品の補助金撤廃・市場開放に踏み切れば、国際市場価格向上・ 途上国からの輸出増・投資増・生産性向上・生産要素再配置と巡り巡って、途上国への開発効果は3,000億ドルと見積もられている。ODA (政府開発援助)の総額は先進国ぜんぶ合わせても年額795億ドルほどなので、途上国がWTOなんかで言う 「先進国は援助で役目を果たした顔をして、途上国の成長に本当に必要なことに全然コミットしない」という主張はある意味ごもっとも。

更に、WTOでは議論の俎上にも上らない人の移動については、先進国(OECD諸国)が労働人口の3%だけ移民に開放するだけで、 wage differentialの解消と分業最適化でもたらされる便益は3,000億ドル。もし、人の国境移動を完全自由化したら、 世界のGDPへのインパクトは8兆ドル(日本の一般会計予算の10倍超の経済規模)ということになるそうな。

それができない背景には、文化や言葉の違いとか移民による犯罪への恐れとか、 もっと突っ込んでみれば社会保障の入りが増えずに出が増えることの受け入れ国側の財政負担、出たい人(いなくなる人) による送る側の政府を通じた政治力行使はそもそも行われない、とか色々ある。でも、例えば中東の産油国は、 そのへんの制度を整えてバングラデシュあたりから一時労働者をたくさん受け入れ、生活ゾーンを明確に分けて3K仕事に閉じ込め、 二流市民のような扱いをしつつ、経済機会を与えている。アメリカみたいな自由・平等の国からみると、「そんな扱いはけしからん、人権云々」 ということになるが、バングラデシュ人が産油国で二流市民をしている時の生活水準は、自国にいる時の生活水準よりはるかに高い。 目の前で不平等な扱いを受ける人がいると良心が痛むが、どんなに酷い状態でも遠くにいれば見えないし、 国境を越えて不平等の概念は当てはまらない。制度を解消して言葉や文化を分けようと、暗黙の、やや偏狭な正義感が労働市場開放を阻んできた、 というのがプリチェットの主張。

*  *  *

さて日本でも、好むと好まざるとに関わらず人手が足りなくなる一方なので、看護師さんをフィリピンから呼ぼう、 という話に喧々諤々なわけですが。 ロボットの先行市場はどうやら移民と競合するのですよね。看護、介護、家事、 みたいな用途の民生ロボットが経済的に安全に使い物になるまでにはまだまだ途方もない研究開発が要るけれど、そこで大変な思いをするのと、 政治的に社会的に大変な移民受け入れでなんとか労働需給のつじつまを合わせるのと、どっちが得なんだろうか。

前者は技術の進歩を通じて、きっと日本の製造業全般に多大な横溢効果を生む。でも、移民だったらロボットと違って税金も払えるし、 経済適応の前にちょっと文化適応が必要かもしれない日本にお茶の間レベルで開国を迫って、経済社会全般に横溢効果を生むのかもしれない。 自分がじいさんになって身寄りがなかったら、ロボットより外人さんに世話してもらうほうが断然いいしなあ。 日本でしか売れない携帯電話に懲りもせず、日本並の超高齢化社会の国にしか輸出できないロボットを作るより、 日本からの出稼ぎ送金で所得が上がった途上国の大多数にヒュンダイとかタタじゃなくトヨタ車を買ってもらうほうが、うれしいのかも・・・。 むむぅ。

こんな暇なことを考えていられる学生生活も、あと残すところ1ヶ月。

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