konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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修羅場リーダーシップ

回を重ねるごとに議論が深まっていくディーン・ウィリアムズ教授の異文化リーダーシップ授業。 先週のお題は「クライシス・チャレンジ」。

ハイフェッツの続編・応用編ともいえるこの授業は、世界の歴史とか映画とか神話とか各人の小咄を題材にしながら「適応的課題」 (ハイフェッツ用語:既存の知識では解決できない、社会や組織の学習と適応を必要とする課題)を6つの典型的なパターンに分類し、 パターン毎に課題の本質を分析して取るべきアクションを一般化する、というアプローチで進めている。 課題のフレームワークは以下のようなもの。

1)アクティビスト・チャレンジ:皆がうすうす気付きながらも目を背けたいような、環境変化にともなって発生した難問。 皆を問題に正面から向き合わせないとそもそも問題解決が始まらず、放っておくと人々は逃避行動(問題の否定・すり替え、スケープゴート、 外敵の創出、権威に対する攻撃、等々)に走るばかり。でも下手に問題の所在を口に出せば(問題そのものでなく)「自分」 に注目が集まり攻撃の対象にされるので危険、みたいな状況。中国勢にやられて赤字垂れ流しの事業部の人達に「この事業って再建不能では?」 とか。

2)能力開発チャレンジ:新たな脅威に立ち向かう、あるいは新たな機会をとらまえるために、組織なり社会にあたらしい能力 (capacity)とかプロセスとか組織構造を生み出さなければならない。 オーナーシップある試行錯誤を通じた学習が起きなければいけないが、皆は権威に依存して、なんとかしてくれることを望んでいる、 みたいな状況。 世銀やIMFが途上国政府に向き合うとしばしばこうなる、とか。

3)移行期のチャレンジ:価値体系の一部を修正して新しい時代に船出しなければならない状況。上の能力開発と一見似ているが、 問題になるのはcapacityのなさではなく、古い価値観への固執とか郷愁とか喪失への不安からくる抵抗。 「宝石でできた鎖で足を縛られて、宝石を壊さないと歩き出せない」人達を、どうしたら新天地を目指す船に乗せられるか。 日本にとってのグローバリゼーションとか?

4)防衛・維持のチャレンジ:資金、政治力、精神的持続力その他のリソースが底をつき、 人々を結びつけていたはずの共通目的や価値信条が摩滅、みたいな八方塞がりの状況。コミットメントが落ちて逃亡したり、 諦めて死を待つしかないと諦めたりする人達に、どうしたら希望の火を灯せるか。 アウシュビッツとかシベリア帰還とかエベレスト登山とかカリスマ創業者死去とか。

5)創造的チャレンジ:過去に例のない飛躍的な仕事、ブレークスルーを成し遂げなければならない状況。 いかに異質なもののぶつかり合いからクリエイティビティが発現する場をつくり、権威者が「自分が唯一解を持っている」 と思い込み場を制圧して皆の創造性を奪ってしまう危険を抑え、集団として生みの苦しみに耐え、 短期的な時間と労力の無駄に対する糾弾から重要な仕事を守りきるか。

6)クライシス・チャレンジ:内外からの脅威で集団の生存が脅かされる状況。防衛・維持と一見似ているが、 じりじり朽ちていくのではなく不測かつ緊急の事態で、能力開発とも似ているが試行錯誤している暇がない。皆が不安にさいなまれ、 近視眼的思考、生存のための攻撃性が支配的になる中で、いかに暴発を抑え、わずかでもクールダウンするスペースを作り、防衛・維持、 能力開発、創造のためのあらゆる代替案を集団から引き出すか。

成功例、失敗例を対比して、行動指針を引き出していく。結果を単純に個人の資質やスタイル、能力に帰着するのではなくて (それをやると行動指針が出ない)、状況・背景、各プレーヤーの行動、人々の反応、 インタラクションを通じた事態の進展のしかたと要素間の因果関係をつぶさに理解する、という基本アプローチは、 ある意味ポーター御大のクラスター分析と同じ。興味のある方はウィリアムズ著:Real Leadership参照。ハイフェッツ本とちがって邦訳がありませんが、なかなか良い本です。

さて、6)のクライシス・チャレンジが一番やばそうなのはなんとなく想像がつく。これに切り込むケースその1は「東チモール」。 ウィリアムズ教授は東チモールの独立直後に初代大統領シャナナ・ グスマオのアドバイザーをやっていて、当時の状況をよーく知っている。

授業の前のTA・教授ミーティングでは「さて、クラスをどうcontextualizeしようか」と相談。 東チモールについてはよい映画教材もなく、皆はReal Leadershipに書いてある当時の概況を読んできているだけ。 「やっぱり映像を見たほうが鮮烈でしょ」とのTA提案で、You Tubeから適当なものを拾って見せることに。「east timor violence」とか検索すると、ビビッドな映像がざくざく出てくる。いくつか見繕って、授業開始とともに上映。・・・ クラスはシーンと静まり返る。

東チモールの過去30年間は軍事支配と抑圧の歴史そのものだ(Wikiに概要) 。今回扱うのは1999年の独立前後の危機。それまで東チモールを支配していたインドネシアでスハルト政権が崩壊し、 新たに就任した政治にまったく不慣れな新大統領ハビビは、東チモールで独立の是非を問う住民投票を提案。 住民の圧倒的多数が独立を望むものの、東チモールを実質支配していた(インドネシア新政府のコントロールが全く利かない) インドネシア軍部は決定に抵抗、破壊活動に走る。 ものの数週間で新国家の住居・建物の8割が破壊、死者・難民多数。

この、独立を決めた国民投票と軍の破壊活動が、のちに大統領になるグスマオにとっての最大の修羅場。彼は10数年、 インドネシア支配下の東チモールで抵抗活動を続けた末に7年前に軍部につかまり、当時は牢屋からは出ていたものの軟禁状態。投票の結果と、 引き続いて市街で悲劇が始まっていることをラジオを聞きながら知り、抵抗の指揮を取っている右腕格の部隊長にいそいで電話。

電話を受けたレジスタンスのアジトは、過去最大級の破壊活動を目の当たりにした衝撃と嘆きと怒りで大騒ぎしながら出撃準備中。 そんな折にグスマオから電話を受けた部隊長が告げられたのは、「決して交戦するな」。目の前で家族を殺され血気にはやる抵抗部隊を、 電話越しで必死で説得するグスマオ。国の独立のために戦ってきて、今ようやくここまできたのに、ここで戦闘したら内戦に逆戻りだ。 つらいのはわかるがここは選挙の監視に来ている国連軍に任せろ、決してレジスタンスは外に出るな、戦うな。・・・クラスでは、 軍関係者を中心に「ここでどうして戦わずにいられるものか」と感情が高ぶる。喧々諤々。

教訓をまとめるウィリアムズ教授。似た事例は1993年春の南アフリカ。反アパルトヘイトの黒人リーダー、クリス・ ハニが白人の過激派に暗殺され、国中で黒人たちの抗議が今にも暴動に発展しそうになった折、ネルソン・マンデラが止めに入る。 「今この瞬間が、我々のこれまでの苦痛と、怒りと、悲しみを、この国の将来に活かせるかどうかを試されてる岐路なのだ」・・・。 皆が状況に飲み込まれるクライシス・チャレンジでは、一触即発を見越して暴発を抑え、リフレクションの小空間を創り出し、 皆が見失いかけた高次の目的を取り戻せるかどうかが成否を分ける。"dissipate the explosive fume, keep people from striking a match"というのが教授の主張。

*  *  *

授業の一部、夜の映画鑑賞会では、修羅場シリーズ第二段として天安門事件を扱ったドキュメンタリー、「Gate of Heavenly Peace」を上映。クライシス・チャレンジで壮絶に失敗した例。

これはハイフェッツの授業でも学期まとめの分析課題に必ず使う題材で、 適応的課題を抱えた社会の非適応的反応とその結末をあまりに如実に描いた作品。当時の学生運動の指導者、柴玲(チャイ・リン) についてだけ着目すると、世界中のメディアの注目を浴びて舞い上がり、圧倒的な状況に飲み込まれ、高次の目的を見失い、 多数の同朋の命を犠牲にした許すべからざる偽リーダー、と捉えがち。だが、ハイフェッツ・アプローチ (outside-in/systemic analysis)でみると、当時の国際社会における中国の立場が事件前後に凝縮されており、 国内の社会経済状況が学生運動の軌跡に凝縮されており、 中国共産党内の改革論者と強硬論者の政治対立が学生グループ内の分裂にそのまま反映されており、 学生グループ派閥間の矛盾に満ちた不協和が柴玲を縛り、諸々の見えない糸をどれも断ち切れない彼女は操られるままに惨劇に突き進むのだった。 (英語の製作元のサイトに完全transcriptあり、 興味のある方はどうぞ。また、最近は日本でもDVDが出ているそうです)

ドキュメンタリーの結末間近、事件の数日前に柴玲がアメリカのジャーナリストのインタビューに応えた映像で、 彼女は衝撃的な言葉を口にする。「このまま運動が失敗することも分かっている、人民軍が動員されれば死人が出ることも分かっている、でも、 我々が血を流して、学生の血を使って人々の目を覚まさせないと、この国は民主主義にむかって動けない」・・・「私は死にたくない。 運動を離れて地下に潜って、世界に事実を伝えたい。・・・中国人、あなたたちは私の情熱と闘争と犠牲に値しない」

このクラスには中国人が2人いて、議論するうちに双方の当事者意識が表出。1人は中国政府で働いていて、 もう1人は学生運動に参加して広場にいた。「党の対応は、目的は正しかったが手段を誤った」という冷静な指摘。 「この映画を初めてみたときは涙が止まらなかった」といって、また泣きそうになりながらの反論。教室の外でインフォーマルに対話継続。 歴史に真実などないなあ、と改めて思う。

*  *  *

修羅場シリーズの授業は期せずして、修羅場予防のためのアクティビスト・チャレンジ、という裏のテーマに軸足を移す。 さんざん繰り返されるこういう事件を、なぜ国際社会が介入して事前に止められないのだろうか? 本当に、 流血を使って目を覚まさせるほかはないのか?

東チモール独立については、生き証人のようなウィリアムズ教授に加えて、やはりというか関係当事者がクラスに2人。 ひとりは某国外交官、もうひとりは国連職員。各々思うところをのべる。当時の主要各国にとって、 冷戦時代から続くインドネシア政府との関係維持の戦略的重要性に比べれば、東チモールなど地政学的に何の利害もない場所。 国民投票が決まって危機が予測された時、諸々の接点を通じてインドネシア軍部が信頼ならないことは皆分かっていたのに、 どの国も敢えてインドネシア新政府を妨げることはしなかった。破壊行為がはじまっても国連は介入を踏みとどまった。結局、 オーストラリアの外務大臣とコフィ・アナンが動きに動き、 米議会の支持を慎重に取り付けたクリントン大統領がゴーサインを出して多国籍軍の派遣が決まったのは、 新国家がほとんど破壊しつくされた後だった。「でも国連は受動的にしか介入できないんだから」と、ごもっともな組織の論理。 別段国際関係にかぎらず周りを見てもいくらでもあるような、爆弾を抱えながら目を背けて放ったらかしていたら爆発、という痛手をこれだけ目にして、 人はなぜ学べないのだろう? 貧困と思想が掛け合わさって増幅されるテロリズム、貧困解消と経済発展に伴 う気候変動、途上国から先進国間に国境など関係なしに伝播するであろうパンデ ミック、地球規模の爆弾を抱えてしまった人類は、やっぱり知らんぷりを続ける のか?

このクラスを通じた新しい友達の出身国は、さんざん流血を使って独立を勝ち取ったコソボだったり、 散々介入されて今の複雑怪奇なかたちになったレバノンだったり。彼ら彼女らの、他人様の歴史が他人事でなくなってゆく濃い過程を通じて、 僕は自分の歴史を相対化・確立してゆけるのか、それとも、地球市民の自覚でも芽生えさせようというのか。そんな探索の一環で、 コソボとレバノンには卒業前に訪問予定。そういえば、天安門の柴玲は事件後に香港に亡命したあとHBSに来て、 今はボストンでソフトウェアベンチャーをやっている。卒業前にぜったい話を聞いておきたい人の一人。

*  *  *

そんな授業の1週間後の今日は、ポーター教授の授業でルワンダのケースを扱う。 人口の11%にあたる100万人が1994年に虐殺されました、国連の介入は遅れました、その後10年の経済再建に向けた動きは以下の通り・ ・・といった内容。ぐぅ、ポーター御大は好きだけど、さすがに、クラスターの議論に貢献できる気分ではなかったですよ、今日ばかりは。 クラスにルワンダ人もいないし。

そんな留学生活もあと3ヶ月。

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突然ですが、ただ今NYに滞在しております。土曜日の夜7:00にNYで予定があり日曜日の昼には帰るのですが、もしお時間などありましたら、お電話ください。+81ー90ー6511ー3040です。バスで往復できそうならボストンにいきます。

牧田 | URL | 2008-03-22(Sat)02:13 [編集]


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| | 2014-04-07(Mon)19:52 [編集]


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