konpe's 夜の仕事記

民間セクター開発、BoP、Clean Tech

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学ぶこと、学んでもらうこと

いやはや。早いものでもう学期末。

MITの学食に陣取り、相変わらずフル稼働のリーダーシップ授業のTA仕事 (ペーパー採点)をしていたら、夏のSTeLAの「教え子」のDに会う。参加者最年少(学部3年)のDは、 STeLAの10日間で結構な困難と向き合って、深く学んだ参加者の1人。その後どうだい、と聞いてみたら、案の定というか、 迷いは増える一方だという。

理系の専攻を決めたところだったのに、世界がこれから立ち向かうチャレンジを身をもって体験し、 政策とかビジネスの人達をはじめて生身の人間として理解し、興味は経済やら社会学やらに広がって、途方にくれる一方。 一生学生やってても足りないかもしれない。どうしてくれるのよ(笑)・・・。まだまだ若いんだからいいんじゃないか、と、 半分自分に言い聞かせる気持ちで言ってみる。君は僕がいま体験してることを10年早くやってるんだからいいほうだ。 先は長いから覚悟しとけよ、フォッフォッフォ。

自分の価値体系に他人の価値体系を重ね合わせて見ることができて、世界観が一段上がるような学びというのはどういう時に起こるのか、 ということを最近よく考える。TAの仕事では、目的の8割くらいはそこにある。人がみな、Dみたいな受容性をもっていたら、世の中さぞかし、 短期的には生産性が低く、でも長期的には適応性が高くなっていることだろう。手元のペーパーに目を戻す。学ぶまい、 と必死の抵抗を見せる学生たちとの紙面・対面の対話の軌跡がそこにある。

STeLAの時と違って、ハイフェッツ授業で僕がTAとして受け持つ学生の半分くらいはずっと年上だ。 たくさんのことを成し遂げてきたけど、大変な失敗もたまにはして、それと向き合うのは容易ではない人達。 教える中身も大人向けだし教授法も独特で、学びの過程は紆余曲折。価値の見直しを迫られて抵抗する人もいれば、 未確立の価値と向き合わされて(自分の場合もそうだった)混乱する人もいる。目覚しく変わった人もいれば、混乱のただ中の人も、 教訓を知識としてだけ吸収して満足げの人も、自己防衛の壁を厚くする一方の人もいる。

毎週のペーパーに加えて、最近は2つの小課題があり、これまた学生との対話を深める素材になっている。1つは「ずっと先、 死ぬ直前の瞬間に思いを馳せてみて、自分の志と野望が何だったか振り返ってみよ」。年長者の知恵とか達観、若者の夢と大志が詰まっている。 読んでて胸が熱くなる。もう1つは「幼少時代に家庭で経験した権威の構造の原体験は何だったか。 それらは今日の自分の行動にどう影響しているか」。親の愛に溢れた家庭もあれば、調和を重んじて対立を避け続けた家庭も、 絶対服従さもなくば厳罰、という家庭もある。離婚とか暴力とか、戦乱とか移民とか亡命とかで大変だった人もいる。 僕だけが読んでコメントすることを承知で、打ち明け話みたいに個人的な世界に連れて行ってくれる人も、 過去の束縛から逃れようともがき始める人もいる。読むのはとても光栄だったり、苦痛だったりもする。

各人を能力・プライド・自己認識の限界点(edge of competency)に追いやり、 踏みとどまって戻ろうとするところに背後から容赦なくチャレンジを投げかけ続け、転落しないようにしっかりサポートをして、 次の発展段階への移行を促す・・・。大教室での講義は、講義というよりほとんど修羅場だ。「頭(理論)」と「体(実践)」 の両方で学ばないと意味がない、という立場から教授は、生身のケースの複雑さ、不完全情報のもとでの曖昧さ、 感情の渦とストレスのただ中でも、システミックな状況分析と即興的な介入・行動修正を冷静に繰り返す訓練を積ませようと、 かなり挑発的な授業運営をする。120人の学生たちの間には3ヶ月をかけて、 学期はじめには到底たどりつけなかった激しいレベルのストレスにも耐え、沈黙も共有できる、それなりに強固な心理的環境(holding environment)が築かれている。教授は、持ち前の手腕を存分に発揮して皆の前で学生ひとりひとりを瀬戸際に追いやり、 おいおいやりすぎだろう、と思ったTAは思わず学生の弁護に回り、学生たちはたちまち連立を組んで論陣を張る。 授業後のディブリーフィングでは、教授もTA陣もびりびり感電したような感覚を残しながら、誰がそろそろヤバいとか、 どうサポートしようとか相談して、教室の外での行動に移る。僕も今日は土曜だというのに個別面談が2件。

扱っている内容柄、この授業が教えようとしたことが目に見える形で成果を出すには年月がかかる。教授によれば、教えることに成功した、 と思える学生は例年3割程度。忘れることのできない失敗例も、TAとのミーティングでは時折話題に上る。卒業して、 何年も経って重要な役職につき、教えたはずのこと、 クラスの皆が過去の失敗ケースをさんざん分析して助言を与えたはずのことがまさに求められる局面で、また同じ失敗をしてしまった・・・ 「自分がちゃんと教えていれば、この国の将来は変わっていた」と、本気で気に病む教授。授業で学生を追い詰めるときの声には、 「君がこれを学ばずに卒業して、将来苦しむ人が出るのを見るのはもう沢山だ」という半ば悲痛な思いが込められている。それだけに、 難しかった学生が学びのジレンマを打破すれば「我々の小さな勝利だ」と喜びを噛み締める。ハイフェッツの授業が人生で一番重要な学びだった、 というのは一見大袈裟な言葉だが、実際よく聞かれるし、「10年前に履修した」「5年前にTAをやっていた」という人が授業にやってきて、 後ろのほうで学びを振り返っていたりする。

TAとして担当学生に同様の思いで接している自分に時折気付く。 困難に直面している一人はアフリカのある国の政府で貧困削減プログラムを担っていて、自分なんかが開発の道に飛び込むのより、 彼が困難を打破できることのほうがずっとインパクトが大きいのは目に見えている。TAとして、友人として信頼を得られた自負もある。 授業が教える理屈だけならいくらでも伝えられるし、それ以上に彼が何を打破しないといけないかもクリアだと思っている。 何時間話してきたか分からないが、少し進んだと思えばまた戻り・・・ものの見方が変わり行動が変わることが、なんと難しいか。

教育、ということについて、ハイフェッツのように真摯な教師を見つけることはじつは難しいと、 この歳になって学生をやってみてようやく実感。組織論とか心理学の教授たちとは、メディアラボでの研究で協業相手を探しながら、 あるいはSTeLAの設計段階で、話をする機会がずいぶんあった。ピーター・ センゲの授業ではMITの組織課題に切り込むという無茶なプロジェクトをやって、教授や事務方にインタビューして回るということもやった。 そうして授業の外の文脈で教授たちと話し込んでみると、テニュアトラックに乗った(乗ろうとしている) 研究者としては一番大事なのはやっぱり研究で、授業は飯の種と割り切らなければいけない仕組みになっていることがよく分かる。 ビジネススクールのファカルティの間では、自分たちがMBAで教えてることには意味がない、とか、 この世界で認められるためには実践とかけ離れた研究もやらないと、という会話が普通に繰り広げられる・・・(とはいえ、こういう真っ当な議論ももちろんある) 。アカデミアではない(ProfessorではなくSenior Lecturerなどの肩書きで、実務から来ている)人達も、 これまた実務に戻る時のレピュテーションが一番大事だったりする。ハイフェッツとかピーター・センゲは、 ほんとうに志で仕事をしている例外的な教育者という印象を受ける。

ハイフェッツ教授には、授業で教わったことに加えて、1人のプロフェッショナルとして自分にしかできないやり方で世界と対峙する、 という姿勢について、相当程度の影響を受けたように思う。なぜ教師という職を選んだのか、なぜこの内容と手法なのか、という問いに対して、 彼は深く明快な答えとその背後に強い使命感を持っている。

 


 

自分の職業観に立ち戻れば、人の深い学びを助け、その人の仕事を通じて波及的に多くの人たちに価値を届けられるような仕事がしたい。 コンサルティング、とくにプライマリー・カウンセラーと呼ぶ類の仕事の真髄もそこにあるはずだと思っている。加えて、 この複雑で多様で相互依存度を増すばかりの世界で、価値体系が衝突するところで相互に学びと進歩をもたらすような貢献ができれば、と思う。 長期的に何なのかはよく分からないし、今の自分にできることと、できるようになりたいこととのギャップは何とも大きい。

独創的な仕事をする時間軸というのはやはり長い。ハイフェッツ教授は音楽家、 精神科医を経て弱冠31歳でケネディスクールで今の職につき、だれも先行者のいない教授法をゼロから築いて、 25年目の今も試行錯誤で失敗ばかりだと言う。比べてもしょうがないとはいえ、 もう30歳の自分がこれからどういうパスを辿ってどこに行こうとするのか、焦りみたいなものも感じたりする。ううーむ。 ぼんやりと見えてきたと思えば、また遠のいたり、難しい。

リーダーシップ授業も週明けが最終回。もう半年で卒業です。いやはや。

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